工大生のメモ帳

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【映画】あした世界が終わるとしても 感想

※ネタバレをしないように書いています。

俺はお前だ

情報

監督・脚本:櫻木優平

HP:映画『あした世界が終わるとしても』

ざっくりあらすじ

幼い頃に母親が突然死して以来、心を閉ざしていた真。そんな彼をずっと見守っていた幼馴染みの琴莉。高校三年生にして、ようやく一歩を歩み出した二人の前に、別世界の日本からやって来たもう一人の真が現れる。

感想などなど

タイトルからしてセカイ系の雰囲気が漂っている。

セカイ系というのは、「主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと」だとWikipdiaで説明されている。ブログ主の理解も、その定義と大差ない。

本作は正しく、主人公である真と、ヒロインである琴莉との関係性が重要視されてくる。真と琴莉の二人は幼馴染の関係性であり、いつも二人でいるような距離感ではあったが、恋人かと言われれば二人とも否定する。高校三年生の受験を前にして、一歩踏み出すことができずにいる関係性がもどかしい。

映画の冒頭を見ながら「あぁ、いつものセカイ系だ」と思ったのは、ブログ主だけではないだろう。だがその期待というものを、斜め四十五度でぶった切って来るのが本作である。

 

設定に関して、まずは説明しよう。

現代の日本とは違う歴史を辿ったパラレルワールドに、 ”もう一つの日本” である日本公国というものがある。この現代日本と日本公国の二つの日本は、ともに相対する人物がおり、片方の世界で死んでしまえば、もう片方の世界でも死んでしまうようだ。

映画「リアル鬼ごっこ」や、「二の国」と同じ設定である。

日本公国では、公女・コトコという人物が実権を握り支配していた。その支配というものが、それはそれは酷いもので、国民は飢えに苦しみ、気にくわない人物は処刑していく独裁体制を引いていた。

圧政に苦しむ人々の中には、コトコを殺そうとするレジスタンスも現れるが、警備が厳重であるため簡単ではない。そこで目をつけたのが、パラレルワールドで平和に暮らしているであろうコトコと相対する人物……本作のヒロインである琴莉であった。

琴莉を殺すという大役を担い、送り込まれてくる人物の名前はジン。彼が死ぬと現代で死ぬことになる人物は、琴里の幼馴染みである真であった……ややこしいようだが、映画内では分かりやすく説明してくれている。

公女・コトコの方も、黙って殺されるほど馬鹿ではない。人型兵器のミコとリコを送り込み、琴莉を守らせる。

状況をまとめると、

公国の公女・コトコを殺すために、レジスタンスのジンが琴莉を殺しにやって来る。

琴莉が死ぬと死んでしまうコトコは、ミコとリコを送り込むことで護衛させる。

真と琴莉はそんな騒動に巻き込まれ困惑する……映画の前半部の展開としてはこんな感じである。

 

ここで疑問に思う方はいないだろうか。「世界が終わりそうになくね?」と。その疑問は実に正しい。

タイトルでは世界の存亡を賭けたような壮大な話であるように風呂敷を広げているが、いまいち何が世界の存亡のトリガーになっているのかが、最後まで見ても良く分からないのだ。人によっては、「あれ? もしかして世界が終わりそうだったの?」と首を傾げる人もいるのではないだろうか。

思い返してみると、「もしかしてあの行動が世界滅亡のトリガーだったのか?」と思い浮かぶものが一つだけある。しかし、それは主人公がどうにかできることではない。もっと言うなればヒロインがどうにかできたことですらない。

あまりにも主人公とヒロインが存在する意味というものが良く分からない。最初にこれはセカイ系であるかのように書いているが、これはセカイ系ではなかったとブログ主は結論づけたい。

本作で描いているのは、主人公とヒロインから見たパラレルワールド間の戦争だ。この戦争に負けるということが、タイトルになっている『世界が終わる』ということを意味しているのだろう。

ブログ主のようにセカイ系として楽しもうとすると、きっと良い評価は下せない。CGによる戦闘や挿入歌、声優の演技などはかなり良かったので、ストーリーに関しては自分がこれまで書いたことを踏まえて視聴することをおすすめしたい。

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