※ネタバレをしないように書いています。
憧れは捨てられない
情報
作者:白浜鴎
試し読み:とんがり帽子のアトリエ (3)
ざっくりあらすじ
「普通の人は本来魔法使いになれない」という重圧に押しつぶされそうになりながら、キーフリー先生の授業を受けるココ。普段は優しいキーフリーも、つばあり帽が絡むと怖い顔をして……。
感想などなど
第二巻のラストは、ココの魔法が不可解な影響を及ぼして、周辺の岩や川底を根こそぎ砂に変えたことで地形を変えてしまっていた。その異変を検知した魔警団がやって来て、ココとアガットを捕縛。「つばあり帽」本人、ではなくとも「つばあり帽」から教えて貰った魔法を使ったのでは? という疑惑を受けてしまった。
ココが岩に挟まれて抜け出せなくなっていた少年を助けるために、竜から逃げる時にリチェが使った岩を砕いて砂にする魔法陣を使った。それは周辺の地形を変えてしまうような強力なものではなく、実に基本的な魔法に過ぎない。
つまり魔警団が懸念するような「つばあり帽」から教えられた危険魔法を、ココが使ったということではない。そんなことは読者も良く分かっている。しかし、ココが「つばあり帽」から何かを授けられたという事を知っているから、心がざわざわと騒ぐ。
キーフリーからの制止や、ココが使った魔法が基本的なものに過ぎないということを確認し、一時的に撤退することにした魔警団。それでも彼らの疑惑が完全に晴れた訳ではないようだ。それもそうだ、地形が変わっていることは紛れもない事実なのだ。そこには何か原因があるはず……。
その理由は魔警団が去った後、すぐに分かる。
どうやらココが使っている魔墨の瓶に、「つばあり帽」が仕組んだ魔法陣があることが分かったのである。そのことに気付いた時のキーフリーの表情は、期待や恐怖がこもったような表情だ。
そこからのキーフリーの行動は、ある種の狂気と執念を感じられる。さらに、それを上回る「つばあり帽」の魔法の凄さを実感する。世界観の深掘りと、魔法の光と闇がより際立たされていく第三巻の感想を語っていきたい。
魔法使いになれるかどうかは、生まれ持った才能で決まるものではなく、正しい知識の学習と制度によって決まるということは、これまできっちり描かれてきた。制度という枠組によれば、ココは魔法使いになれるはずがなかった。
ココが魔法使いになれたのは「運が良かった」と言わざるを得ない。まぁ、ここまで読んでみると「つばあり帽」に仕組まれたという可能性が脳裏をよぎるわけだが……とにかく彼女の自認としては、「自分が魔法使いになれないはずだった」という状態である。
そんな彼女は、魔法使いになれるはずが病気によって魔法使いになれないタータという少年に出会う。彼は生まれながらに「銀彩病」という「あらゆるものが銀色に覆われて見える」病にかかっており、モノを見ることが難しいのだ。
”魔法使いになれない” というのは言い過ぎだったかもしれないが、視力が悪いとパイロットになれないように、魔法使いになるにしても制限がかかることは確実だ。この出会いがきっかけではないかもしれないが、ココは改めて自分の立場を深く考えさせられる。
そもそも母親が石に変わってしまったのも、アトリエの仲間達が「つばあり帽」の襲撃に巻き込まれたのも、自分が魔法への憧れを捨てられなかったから。それは間違いではないかもしれないが、憧れを抱くことは悪ではない。それでも自己嫌悪のループに陥って、夜眠ることもままならないような悪夢にうなされ体調を崩して発熱してしまう。
おそらく禁忌魔法を使えば、彼女の病気なんてものはすぐに治せるのだろう。しかし使うわけにはいかない。キーフリー先生に連れられて病院へと向かった先で、ココは再びタータと出会う。
そこで行われる一夜限りのココとタータの共同作業は、魔法の可能性を教えてくれる印象的な一夜になる。もう魔法使いにはなれないと諦めていたタータの未来に光を照らし、ココが再び魔法への憧れを強く抱くきっかけにもなったと思う。
魔法は悪ではないし、憧れもまた悪ではない。結局、それらをどう使うかに全て懸かっているのだ。
第二巻から引き続いて、魔法を知らない者と知っている者の意識の差が、色濃く描かれているように思う。魔法を知らない者にとって、魔法は何でもできると思う。しかし我々読者も魔法使い自身も、そんな便利なものではないと分かっている。
魔法を使える者は、使えない者を助けることが当たり前だと思っている。しかし、魔法使いも人間に過ぎない。彼らには彼らの制度があり、それらで縛られている。この両者を隔てる壁は見えないが、実際はとても分厚く思える。
この壁が今後どのように物語に影響を与えるのか?
その辺りが気になる、光と影が濃くなっていく第三巻だった。
