※ネタバレをしないように書いています。
絶望と仲良く
情報
作者:つくみず
試し読み:シメジ シミュレーション 03
ざっくりあらすじ
中学生の頃に引き籠もっていたら、頭からシメジ二本が生えてきた月島しじま。生まれつき頭に目玉焼きが乗っている山下まじめ。二人のほのぼの高校生活。
感想などなど
『トゥルーマン・ショー』という映画をご存じだろうか。
一度を島も出たことのない主人公は何も知らないまま、日常生活が二十四時間撮影されており、そのままリアリティ番組として放映されていた。両親も、友達も、全員が番組制作者に仕込まれた役者であり、作られたセットだった……という物語である。
二巻にて、海の果てがセットだったというオチの映画を見に行くシーンがある。このシーンで思い浮かんだのが、まず『トゥルーマン・ショー』だった。そこから、もしやシメジ シミュレーションが劇中劇なのでは? という風に予想を立てた読者も多いのではないだろうか。
これまでの不思議な世界観は劇中劇と言われればそれまで。シメジが頭から生えている人なんて、穴を掘っていたら変な世界に落ちたなんてことも、現実には起こりえないフィクションである。あくまで我々のような読者から見れば。
しかしシメジ達からしてみれば、あの世界は間違いなく現実である。不思議と感じたことも目の前に起きて、触れることができ、他の人達とその情報を共有できているため「現実ではないかもしれない」という疑いを持たない。
ずいぶんと哲学的な話となってしまったが、この第三巻で問われているのはそういうことだと思う。
「夢と現実の違い」について、しじまの姉は妹に問うた。
姉の用意した答えは「それは他者と共有できるかどうか」だった。
大昔の中国の人が、「蝶になって大空を飛ぶ夢を見て目を覚ました。蝶が人間となっている夢を見ているのか、人間が蝶となって空を飛ぶ夢を見ているのか。私は蝶なのか人間なのか分からない」といったことを考えた。有名な胡蝶の夢の話である。
哲学者の多くもこの問題に挑んできた。この世界はコンピューターが計算して作り出したシミュレーションの世界だとしても矛盾はない。実は五秒前に世界ができているということもあり得る。クオリア問題で検索すれば、様々な議論が交わされていることが良く分かる。
そんな哲学的な問題に、明確な答えを見つけ出してしまったとしたら、人類はどうするのだろう。
『トゥルーマン・ショー』の主人公は逃亡し自由を求め、上が書き殴った視聴率が取れそうな脚本とは違う人生を求めた。『マトリックス』では現実で戦うことを決意して、夢の世界から目覚めた。
さて、しじまの姉は何かに気付いてしまったようだ。これまで夢の世界に行ったり、永久機関を作ったりしていた天才は、それらの情報を組み合わせることで、この世界の秘密を解き明かしてしてしまったらしい。
この世界の真実に気付いたしじまが取った行動は自由を求めた。そこで現れたのが、これまで何度かしじまを助けてくれた庭師である。彼女の役割はその名の通り、この世界(=庭)を正常な形に修正・安定化させること。
しかし庭師自身もそのことを真に理解していた訳ではない。いわばただ役割だけを演じるキャストか、プログラムされたシステムのような存在。自由を求めるしじまの敵ではなかった。
誰も止められない。徐々に崩壊していく世界が、コマ割で表現される。その端っこで泣いている庭師が印象に残る。この漫画はこれで終わりなのだろうか、ふと寂しい気持ちになった。
しかし終わりではない。真実が分かったとして、その真実を壊したとして、それはどこからどこまでが自由意志による結果なのだろうか。考えれば考えるほどに深みにはまっていく漫画であった。