工大生のメモ帳

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【映画】セーヌ川の水面の下に 感想

※ネタバレをしないように書いています。

Netflix映画 フランスのサメ映画

情報

監督:ザウィエ・ジャン

脚本:ヤニック・ダアン、モード・ハイヴァン、ザウィエ・ジャン、ヤエル・ラングマン

ざっくりあらすじ

トライアスロン大会が控えたセーヌ川にサメが出現した。しかし淡水である川にサメが現れるなど有り得るのだろうか……?

感想などなど

サメ映画は一大ジャンルと言って良いくらいに、そのバリエーションが豊富になっている。ジョーズに代表される "ホラーに社会派の色を加えた" ものから、トルネードとサメが合体しているシャークネード。温泉とサメの温泉シャーク……色々ありすぎて、サメ映画というだけでB級と決めつけて避ける方もいるかもしれない。

そんな中、「セーヌ川の水面の下に」というオシャレな邦題をもらった本作は、中身はジョーズと同じ系統の "ホラーに社会派の色を加えた" サメ映画であった。なにせ本作のサメは空を飛ばないし、壁をすり抜けないし、時空を越えない。

そもそもサメ映画の多くは、人間 VS サメという構図で成り立っている。当たり前だ、と思われる方はジョーズを見て欲しい。

あれはサメによる被害が増えたのは、人的要因によるものが大きい。上に立つ人間が無能で、サメなんてと舐め腐った結果、死なないで良い人がたくさん死んだ映画だ。いうなればサメはただのギミックで、それを取り囲む人達が勝手にそのギミックに足を踏み込んでいったような感じだ。つまらなそうな説明をして申し訳ないが、めちゃくちゃ面白いので見てほしい。

人間 VS サメをまっとうに描くと、手段を選ばせなければ最終的には人間が勝つに決まっている。その構造をひっくり返すために、サメに武器を持たせたり、特殊能力を持たせたり、人間を無防備な状態で閉鎖空間に閉じ込めたりして、画として持たせているというのが実情だと思う。

そんな中、本作のサメに与えられた武器は何か?

淡水で泳げること、である。

 

冒頭、サメの生態を調査する研究チームがサメに襲われるシーンから始まる。言うまでもなく、これは海でのシーンだ。それに研究のためサメにGPSをつけようと限界まで近づいて傷を負わせれば、遅かれ早かれ死人が出るのは素人目にも分かる。

ここでの研究チームメンバー達の死は約束された死だと感じてしまった。

サメに攻撃したら反撃されるのは当たり前じゃないか、と。彼らだって研究のためとはいえ覚悟していたのではないか、と。まぁ、その後の生き残った女性の落胆を見る限り、覚悟はしてなかったようだが。

そんな背景を持ってしても、いや、だからこそ冒頭で描かれる巨大なサメに襲われるシーンは、サメの恐ろしさや強さがしっかりと描かれており、とても迫力がある。サメを知り尽くした研究チームメンバーだとしても、海の中ではなすすべなく喰われることしかできないのだと分かる。

あの頃のサメが、次はセーヌ川に現れたというのだ。

海水でしか生きていけないサメが、淡水であるセーヌ川で生きていけるはずがない。つまりはうっかり迷い込んでしまっただけで、セーヌ川から海へ戻してあげないと死んでしまう……それが科学者の見解だった。

とはいえセーヌ川ではトライアスロンが開催されようとしているらしく、サメは急いで駆除してしまいたい。サメを助けたい人達はデモみたいなことをし始めて、駆除しようとする警察を妨害する。何だこれは……サメをそっちのけで人間同士の画にならない戦いが始まった。

それを嘲笑うかのようにサメは川で元気に生きている。海水でしか生きていられないサメならばとっくに死んでいるはずなのに、である。

 

この映画はサメ VS 人間という構図ではなく、自然 VS 人間という構図を描きたかったのではと思う。人間が心配している以上に、自然は勝手に変化していく。人間が自然を助けている、助ける必要があるという思い上がりを、ぶん殴るような映画だった。

終始、サメはそこで生きているだけ。人間が勝手に「彼らは困っている」「彼らは助けなければいけない」と救いの手を差し伸べているつもりなだけ。それをパクリと食べたら血溜まりが広がって、何か勝手にいっぱい死んでいった。

ラストシーンも自然 VS 人間の行く末を象徴しているように感じた。

色々と考えさせられる映画であった。

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