工大生のメモ帳

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【映画】トゥルーマン・ショー 感想

※ネタバレをしないように書いています。

自由とは何か

情報

監督:ピーター・ウィアー

脚本:アンドリュー・ニコル

主演:ジム・キャリー、エド・ハリス、ローラ・リニー

ざっくりあらすじ

小さな島で保険会社のセールスマンとして働くトゥルーマンは、ある日、死んだはずの父と出会う。それをきっかけに自分の人生がテレビ番組によって作られた人生だったと気付いてしまい……。

感想などなど

昨今のネット文化の発展により、配信者やYouTuberは自身の人生を切り売りすることも珍しくなくなった。テレビ番組は金をかけた企画が減って、コンプライアンスにより縛られて過激さはなくなった。この流れの善し悪しはさておいて。

テレビとはスポンサーからの出資によって成立しており、コンプラ違反はスポンサー離れを生むし、(自分含め)今の若い世代は過激な企画にそれほど魅力を感じなくなっているようにも思う。

そんな情勢の中、もしも「一人の男の誕生してからの歩みの全て」を流し続けている番組があったら、どう思うだろうか。【全て】というのは文字通りの意味だ。出産から、赤ん坊が立ち上がるところ、言葉を発するところを視聴者が固唾を呑んで見届けた。大学生になって恋をして結婚するところまで、本当に全てを。

自分はそんな世界観に、底知れぬ恐怖を感じた。この番組の倫理的な問題は作中でも語られる。だが世間的には許されているらしかった。何故なら面白いから。彼は何不自由ない生活を送っていたから!

そんな衝撃的な世界観の本作。全世界に人生を垂れ流されている男・トゥルーマンの生活は、無理やり挟み込まれる商品紹介のような台詞から、よくよく考えると不自然な誘導という名の演出が散りばめられている。

それらは一見するとギャグ的であるし、笑ってしまう。しかしトゥルーマンからしてみれば日常であり、それらが全てひっくり返るシーンは凶悪だ。自分が置かれている立場を理解してしまった男が取る行動には、世界に抗おうとするかっこよさがある。

そんな衝撃作『トゥルーマン・ショー』への思いを語っていきたい。

 

自分はこの映画を何回か繰り返し見ている。その理由はネタバレをされた上で全ての展開を知っていても面白いからに過ぎない。これから『トゥルーマン・ショー』を見ようという方がいるならば、可能ならば「トゥルーマンの人生はテレビ番組によって作られたフェイク」という情報を知らないまま見てほしい。

……まぁ、このブログ記事を読んでしまっている時点で無理だろうが、この衝撃の事実はストーリーにおける大どんでん返しの衝撃展開という訳ではない。というか普通に公式のあらすじに書かれている情報である。

企画を何とか成立させようと奮闘する運営と、その裏をかいて真実を暴こうとするトゥルーマンとの間で繰り広げられる攻防、トゥルーマンや運営陣の葛藤、自由とは何かを考えさせられるストーリー……この映画はトゥルーマンが「疑ってしまって」から始まったといえる。

トゥルーマンの行動範囲はあえて制限されている。その制限は無理やり壁で覆うようなものではなく、人混みによって通りにくくなったり、誰かに話しかけられてしまったり、事故が起きてしまったりというように、日常に溶け込ませるような範囲に留められる。だからこそ、画面越しでしか見ない視聴者やトゥルーマン自身は気付かない。

その裏では監督が指示を飛ばし、待機していたエキストラが影から飛び出してくる。一仕事終えた彼らは壁の裏でゆっくりと休憩。いたるところに仕組まれた監視カメラの映像から、トゥルーマンの行動は逐一報告が走り、予想外の行動に対処できるようにしている。

これらはちょっとの油断で瓦解する。

この瓦解からの展開があまりに面白い。トゥルーマンとしても信じたくなかった事実なのだろう。自分が選んだ妻は用意された人で、自分がしている仕事も用意されたもので、それどころか街自体が作られたものだった。

信じられないがこれは真実。こうなってくると運営側も手段を選んでいられない。無茶苦茶な方法で彼を納得させようとし、番組を継続させるために街は無茶苦茶になっていく。

 

トゥルーマンは最高の主人公だった。

自由を追い求めた彼の信念が手に入れたエンディングは、あまりにも皮肉めいた美しさに満ちていた。その表情や所作の意味は、彼にしか真意は分からないけれど、この映画をもう一回見ようと思う動機には充分だ。

ストーリーだけをなぞって知っただけでは分からない面白さがある映画だと思う。何よりも心に残る映画だった。