工大生のメモ帳

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【映画】プラダを着た悪魔 感想

※ネタバレをしないように書いています。

自分を捨てる覚悟はあるか?

情報

監督:デビッド・フランケル

原作著者:ローレン・ワイズバーガー

ざっくりあらすじ

ジャーナリスト志望のアンドレア・サックスは、ファッションに全く興味がないにも関わらず、ファッション雑誌『ランウェイ』の編集部に就職することとなった。そこの編集長ミランダ・プリーストリーのアシスタントとして、地獄のような日々が始まった。

感想などなど

まずは映画のOPから見て貰えれば、オシャレなファッションをより際立たせる魅せる画が、視聴者を映画の世界へと引きずり込む。ファッションの世界を何も知らない視聴者であっても、分かりやすく魅せるファッションというものを見せつけられ、それと相対するようにズボラなアンドレア・サックスが悪い意味で目立つ。

そんなズボラ・ファッション・ガールがファッション業界、しかもその頂点ともいえるファッション雑誌「ランウェイ」の編集長ミランダのアシスタントになるというのは、チグハグな展開に思えるかもしれない。

アンドレアはどうしてそのような道を選んだのか。

「ミランダのアシスタントを1年務めれば、どんな仕事にもつけるようになる」という言葉を信じて、その道を選んだのだ。そう、つまり彼女にとってミランダのアシスタントというのは、目標への足がかりに過ぎない。

この目標について、ファッション業界の世界へとどっぷり浸かり、その目まぐるしさや華やかさの裏にある苛烈さに心が奪われていくうちに、ミランダと同じ視点である視聴者もうっかり忘れてしまう。「そもそも彼女はどうしてミランダの元で働いていたのだろう」と。

そんな彼女にはネイトという料理人の彼氏がおり、ファッションには頓着しない彼女のそのままを愛してくれていた。彼女がファッション雑誌の編集部で働くことを不安に思いながらも、理解を示していた。

傍観者でしかない視聴者すら捨て置いて、俯瞰的な立場で彼女を見ることができた唯一の人物が彼だ。この映画におけるアンドレア・サックスが "目標を持っていた頃の自分" からどれくらい離れていったかを図る物差しのような存在だったのでは、と個人的に思う。

映画を見終えて冷静になって考える。

仕事で忙殺されてファッション業界に染まっていく彼女は、本来の自分を失っていったのか。それとも、あの姿こそが彼女の本当の姿なのか、と。

 

OPから画面を支配しているファッション業界の人々の中、アンドレアのファッションはあまりに無頓着だった。ブランドなんて何一つ気にせず、着たい服を適当に着ている。そのことを恥ずかしいと思うような感情は持ち合わせていない。

正直、素人目から見てアンドレア……いや、アン・ハサウェイがそもそも美人過ぎて、酷いと言われても分からないのは、自分がファッションにズボラな男だからか……?

ファッション雑誌の編集部で働くと聞けば、何か華やかな世界をイメージされる。かくいうブログ主の認識だってそうである。確かに。絵面だけ見れば目に鮮やかに映るファッションは、とても華やかだ。しかしその華やかさの裏では、数多くのデザイナーが苦心があり、その成果物一つ、首を横に振るだけで没にする悪魔のような編集長ミランダがいる。

このミランダこそ、プラダを着た悪魔なのだ。

主人公アンドレア・サックスの仕事は、ミランダ編集長のアシスタントとして、彼女のタスクを支えることだ。この仕事はあまりに膨大で、大変で、一切のミスが許されない緊張感に満ちている。

電話を取るというタスク一つとってしても、ファッション業界では常識の用語や、ファッション業界ではおそらく大物なのだろう人名が飛び交う。ファッションの意見を求められるても、言えることが何もない。元々ファッションに興味がなかったアンドレにとって、これは地味に辛い。

とはいえ、そういったのは覚えてしまえばどうということはない。アンドレ自身も、徐々にそういった知らない世界を知っていくことで、ゆっくりとだが業務に慣れていく。とはいえ慣れない環境に身を置く心労は計り知れない。

そこに重くのしかかってくるのが、ミランダの無茶振りだ。

その依頼内容が仕事に関わることならばまだ良い。納得も無理やりできなくない。天候不良により飛ばなくなった飛行機をどうにかしてと言われても、「まぁ、次の予定があるしな」で五千兆歩譲って理屈は分かる。彼女のスケジュールが遅れることによる損害は計り知れないからだ。

「まだ未発売のハリーポッターの原稿が欲しい」というのは、おおよそアシスタントがする仕事ではないはずだ。これは冗談ではなく、ミランダから課せられた依頼である。もしもこのタスクが課せられた場合、皆さんならどうするだろうか?

現在(2025年5月)はハリーポッターは完結しているが、連載当時のハリーポッターの人気は凄まじいものだった。ハリーポッターについて語るのは本題ではないが、当時であれば、まだ世にも出ていないハリーポッターの原稿なんて喉から手が出るほど欲しいはずである。

そんな無理難題をこなしてしまう者がいた。それがアンドレアである。

 

ブログ主はこの映画を何回も見ている。その理由は『とあるシーン』が見たいがためだ。『プラダを着た悪魔』という映画を象徴するシーンだと個人的に思う、そのシーンの言語化はとても難しい。

それでも、どうにかそのシーンの言語化に挑戦したい。

ファッション業界の頂点であるミランダのアシスタントとして揉むに揉まれて、それでも抗って、アシスタントとして全く恥ずかしくない業界人となった。能力の高さもさることながら、行動力、胆力も人間として一皮も二皮も剥けていた。このままファッション業界にいたとしても、きっと彼女の人生は華やかだったと思う。

それなのに彼女は人生における重要な選択をした。このシーンのアン・ハサウェイの格好良さと痛快さ、そこまでの鬱屈とした空気の全てが払われていくような心地よさがある。

映画全体に漂う格好良さ、美しさ。鬱屈とした空気が一気に晴れていく快感。ストーリーが分かった上で見ても同じような感情で楽しめる名作だった。