※ネタバレをしないように書いています。
犯罪活劇
情報
監督・脚本:クエンティン・タランティーノ
ざっくりあらすじ
犯罪のプロ・ジョーは宝石強盗を計画し、仲間を集め決行。しかし、現場には警察官が待ち伏せており失敗に終わった。命からがら逃げ延びてきた男達は、裏切り者がいるのではと疑い、互いに探り合いが始まる。
感想などなど
犯罪をしても捕まらないためには、何が必要なのだろうか。
この映画に出てくる者達はほとんどが犯罪者である。「できれば殺したくない」と宣う強盗犯。とりあえず耳を削ぐサイコパス。一癖も二癖もある面々を束ねているのが、その多くが謎に包まれている極悪人・ジョーである。
そんな強盗計画が実行後、逃げているシーンから始まる本映画のストーリーはとてもシンプルだ。
ジョーが計画した強盗計画が失敗し、逃げ込んだ先で明らかに早すぎる警察の行動に違和感を覚え、実行グループの中に警察官が紛れ込んでいると推測をし、強盗グループの中にいるという裏切り者を暴くために殺したり殺されたりする……そんな感じだ。
複雑な伏線回収もなければ、迫力あるアクションシーンがある訳でもない。場面は基本的に強盗チームが逃げ込んだ先の中だけで完結し(回想シーンはあるが)、誰が警察から送り込まれた人間なのか当てるミステリ要素もない。
となると、この映画の何が評価されるのか?
そもそも面白いと思う映画の条件について、この映画の感想を書くに当たって色々と考えさせられた。良い映画にとって崇高なストーリー、伏線回収は必要なのだろうか。派手なアクションは必要だろうか。
結論として、この映画の評価を高くしているのは、『印象に残るシーン』の旨さではないかと思う。印象に残るシーンに必要なのは、画としての構図、俳優の演技、そこに至るまでの流れ、音楽……それらが上手く噛み合った時、そのシーンは印象に残る。
この映画はシーン単体の旨さと、それを繋げる流れが綺麗なため、ストーリーなんて気にせず没頭できるのではないか。そんなブログ主の評が正しいかどうかは、見て確認して欲しい。
ひとまず本映画の感想を書くということ=印象に残っているシーンを語ること、だという考えの元、とりあえずシーンを列挙してみたい。
一つ目は冒頭のレストランでの会話シーン。
どこかまともじゃない面々達が集って、「”ライク・ア・ヴァージン” は○根好きの女の話か、繊細な少女の歌か」を話し合ったり、タバコをスパスパと吸いながら、そのしょうもない話の裏ではトビー・ウォン? とかいう男の話がされ……てるかと思えば、ただの独り言だったらしい。と思えば歌詞の話に戻る。脈略のない会話に思えるが、それぞれの人となりやそれなりのキャラクターが分かる。力関係が分かる。
そんなOPのようなトークが終わると、軽快なミュージックと共に街を闊歩する男達の姿が映る。ここが印象に残っているという方も多いのではないだろうか。そのOPが終わるかと思えば、血だらけの男が車の後部座席に座っているのだから、一気に引き込まれてしまう。ある意味、卑怯ともいえるシーン転換だ。
二つ目は耳を削ぐシーン。
耳を削ぐ理由なんて気にしないで欲しい。感想を書きながら、「なんで耳を削ぐ必要があったんだっけ?」と思っているが、どうしようもないくらい印象に残ってしまっているシーンなのだから仕方がない。
強盗チームのメンバーは言わずもがな、その道で経験を積んだ極悪人の集まりである。その中には人を脅すことに長けたサイコパスもいたというだけの話である。ガランと広い倉庫の真ん中辺り、椅子に縛り付けられた男が一人。その周囲をグルグルと回りながら、ナイフ片手に耳を削いでいく。剥ぎ取った耳の穴からは向こう側が見える。耳を削いだ経験なんてないが、削ぐとすればこうなるのだろうなというリアリティ。生々しいシーンではあるが、グロさよりもここから先の興味が勝るという案配(ここら辺は人によるだろうが)。
三つ目はラストシーン。
そこに至るまでの地獄のような惨状が迎える結末は、悪者達が迎えるには相応しいものかもしれない。しかし彼らにも生きる意思があって、思いがあって、それらが衝突し合ったが故に迎える確定事項だったのだ。
ラストシーンにて、”彼” はどうしてあんなコトを言ったのだろうと考える。きっと彼には彼なりの感謝があったのではとブログ主は思う。同情できないような悪者ばかりの環境だったが、彼らなりの矜持があって、それらが影響し合った可能性を考える。
他にも人によっては語りたいシーンがたくさんあることだろう。悪い男のかっこよさに惚れる人もいるかもしれない。オシャレなシーンに感化されるかもしれない。
とにかく語りたくなる映画だった。