※ネタバレをしないように書いています。
女性から見たモンゴル帝国
情報
作者:トマトスープ
試し読み:天幕のジャードゥーガル 1
ざっくりあらすじ
最強の大帝国「モンゴル帝国」の捕虜となり、チンギス・カンの四男のトルイの正妃ソルコクタニに仕えることとなったファーティマ(=シタラ)には、トルイに奪われ、ソルコクタニの手に渡った本を奪還するという目的があった。
感想などなど
恥ずかしながらブログ主には学がない。
大学のセンター試験で選択して世界史を学者した。しかし、これはあくまでテストに受かるための学習であり、自分の血肉となっているかと問われれば答えは否だ。モンゴル帝国=日本に攻め込もうとして神風で敗れたという知識でしか知らない(あと遊牧民族であるということぐらい)。
チンギス・カンという名前を聞いて、「チンギス=ハンとは違うのだろうか?」と首を傾げたくらいだ。どうやら同じだと考えていいらしい。時代によって異なる発音の関係で、カンとハンというように呼び名が変わるというだけのようだ。
そんな本作の主人公であるシタラは、奴隷で学者先生の家に買われるイスラム教徒だ。イスラム教といえば唯一神アッラーを信仰し、その神の教えを授かったとされる預言者・ムハンマドの言葉をまとめたクルアーンの教えを遵守する。政教分離が世界的に推し進められている中、イスラム教の国では法律にまでクルアーンの教えは根強く残っている。
そんなイスラム教の哲学が、本作の根底にはあるように感じた。
先ほどシタラは元奴隷というように記載した。奴隷と聞くと日本人が想像するのは、人権のない劣悪な扱いではないだろうか。しかしながらファーティマは雇い主である家族に、とてもよく扱われていた。
彼女を買ったのはファーティマ。代々学者の家系で、その家の坊ちゃんであるムハンマドは、トゥース(イラン東部の都市、序盤の舞台)でも有名な秀才であった。そこに貰われたシタラは奴隷でありながら教育を施して貰っていた。この時点で、奴隷という立場に対する認識が違ってくるのではないだろうか。
勉強ができるというのは恵まれた環境であることに気付くには、ある程度勉強ができてからである。最初はシタラに対して熱心に教えようとしていた教師も、何を言ってもニッコリ笑うだけの彼女には失望していた。
そんな彼女に勉強の意味を教えてくれたのは、その家のぼっちゃんムハンマドであった。同じくらいの年齢である彼とシタラであるが、その二人の世界の見え方というものは大きく違っている。
例えば。
勉強を真面目にしようとしないシタラに対し、ムハンマドは実演によって勉強の有用性を示した。彼は大きな鉄製の盤を持って二階に上がり、そこから下へと落として見せた。すると大きな音がして、それを聞いた人々は敵襲かと慌てている。対し、『盤が落ちて音が出る』ことを知っていたシタラは慌てなかった。
これが知っている人、知らない人の差である。ただ知ってさえいれば冷静に対処できるということ、その当たり前を理解したシタラの表情が可愛くて好きだったりする。そこから学者家族との距離も詰めていき、すっかり家族の一員となったシタラも可愛い。
ムハンマドをからかうシタラ、「もしやこれはラブコメか?」と暢気なことを考えたブログ主は知識が足りない。ここから先の歴史を知っている者であれば、そんなことよりも、これから始まる絶望への心の準備が出来たのではないだろうか。
さて、物語が本格的に動き出すのはトゥースがモンゴル軍の襲撃を受けて崩壊してからである。男は皆殺し、女と子供と技術者は連れて行かれる。みんなちりぢりとなって、多くの血が流れた。
シタラの奥様ファーティマも血を流した人の一人だ。モンゴル軍に奪われた本を取り返すために行動したシタラと、彼女を生意気だと斬り殺そうとした兵士、彼女を守るために盾となったファーティマ……小さな奴隷に過ぎないシタラが、モンゴル軍を滅ぼす覚悟を決める理由としては十分だった。
どんなに世界史を知らないとしても、いずれモンゴルの栄華は終わるということは知っている。しかしその終焉に、いずれは魔女と呼ばれる元奴隷の少女が関わってくるということは知らない。
先が気になる歴史物漫画であった。