※ネタバレをしないように書いています。
こんな世界、間違ってる。
情報
総監督:新房昭之
監督:武内宣之
脚本:大根仁
ざっくりあらすじ
花火大会をまえに、「打ち上げ花火は横からみたら丸いのか?平べったいのか?」という話題で盛り上がる典道とその友人たち。放課後の花火大会にそれを検証しに行く約束をする。その待ち合わせに向かう途中、ひそかに思いを寄せるなずなと出会い、駆け落ちに誘われる。しかし、街を抜け出そうとするより前に、彼女は母親に連れていかれてしまった。
感想などなど
この映画を見た感想を一言でいうならば「難しい」に尽きる。「不親切」とも言い換えられる。
その理由は二つ。
まず一つは『一切の説明がない』ということ。本作はタイムリープを何度も繰り返すことになる。そのタイムリープの方法はおそらく『なにか目的を持って、なずなが海で拾ったというガラスのように透明で奇麗な玉を投げること』だ。
おそらく、と言ったのは全く持って説明がないからであって、最後の展開や『花火の形状が変わる』という謎現象により、ただのタイムリープではないという推測できるが、結局のところよく分からない。ラストまで見た上で、「結局あれは何だったのだろう?」と首をかしげることになる。
まぁ、おそらくそこまで考えてはいけないのだろう。きっと無駄である。そこを広い心で許せるかどうかで、作品に対する評価は変わる気がする。
次に二つ目は『主人公である典道があまり喋らない』ということ。正確にいうなれば、あまり意思表示をしてくれないのだ。序盤はとくに周囲に流されていくだけで意思表示をしないシーンが目立つ。タイムリープする前、母親にただ連れていかれるだけのなずなを、ただ見ていることしかできなかったシーンなどが分かりやすい。
彼は結局のところ、最初は何も行動できない少年だったのだ。
この映画を理解するためには典道がタイムリープする目的というものを、理解することが大事であるように感じる。脚本がよほど意地悪でもない限り、ラストシーンでは典道の目的が叶った、または叶えようとしての行動による結果のはずだからだ。
あらすじでも示した通り、舞台は夏、花火大会の当日だ。
放課後、花火大会より前。プール掃除にやってきた典道と友人である祐介は、プールサイドで横になっているなずなと出会う。そこで三人は50メートルを泳いで勝負をし、勝った人は何でも命令するという約束をする。
結局、その勝負で勝ったのはなずな(おそらく描写やセリフ的に水泳部なのだろう)で、残り二人、祐介と典道の勝った方……タイムリープ前の段階では祐介だけを、花火大会に誘った。
しかし、祐介は行かなかった。
打ち上げ花火は横からみたら丸いのか?平べったいのか?」ということを検証する約束を、男友達としていたため、彼はそちらを優先したのだ。ただひたすらに祐介を待ち続けるなずなの姿は、見ていて辛い。
そこに遭遇したのが、典道だった。
そこで彼女が、母親の(三度目の)再婚で、明日にはどこか遠い地へ引っ越しせざるを得なくなったこと。それをきっかけとして、駆け落ちを考えていた話を聞く。
祐介と典道、プールで50メートルの勝負で勝った方を花火大会に誘うつもりだったことまで彼女は語った。彼・彼女はともに子供で、駆け落ちなんてドラマか映画の世界の話で、きっと典道にとって、現実感のない唐突な話だったのだろう。彼女の言葉に対する彼の反応は薄い。
そんな二人の前に母親が現れて、なずなを無理矢理連れて行く。「助けて」と、典道の名を叫ぶ彼女を前にしても、何一つとして一歩ですら動けなかった。
そんな彼は「プールの勝負で祐介に勝っておけば」と願った。これが第一回目、タイムリープの目的である。
その後、タイムリープを何度も繰り返すことになる。
タイムリープの度に、打ち上げ花火の形状が変わっていく。それは些細なことかもしれないが、典道にとってはとても重要な意味を持っている。綺麗だとなずなは言ってくれるかもしれないその花火が、実は間違った形だと典道だけが知っているのだ。
そんなタイムリープの目的は、繰り返す度により核心へと向かって行く。最後の最後の目的こそが、彼にとって最初から望んでいたことの全てであるような気がしてならない。
ラストシーンの意味が分からない、という声を何度も聞いた。しかしあれは、典道がなずなとまた出会うための行動の結果だと考えれば、何となく合点がいく。二人の迎えたあの世界で、二人はどんな出会いをするのか? 想像してみるのも悪くないかもしれない。
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