※ネタバレをしないように書いています。
狂人
情報
監督:李相日
脚本:奥寺佐渡子
原作:吉田修一
主演:吉沢亮、横浜流星
ざっくりあらすじ
抗争によって父を亡くした喜久夫は、上方歌舞伎の名門の当主・花井半二郎に引き取られ、"東一郎" という名前を貰い、歌舞伎の世界に飛び込むこととなる。そこで出会った半二郎の息子・俊介とライバルとして切磋琢磨していたが……。
感想などなど
見終わった後、ふと現実に引き戻されていくような不思議な感覚に襲われた。三時間という長尺というだけでは説明できない、心身に重くのしかかってくる感情や悪くない疲れがあった。
ストーリーはそれほど複雑ではない。
言ってしまえば、元任侠の一門の男が歌舞伎の世界に飛び込んでからの一生を描いている。その中で起きる様々な事件が起こり、彼には類い希な才能があるにも関わらず、いや、むしろ才能によって歌舞伎役者としての人生は終わりそうになる。それでも才能によって、歌舞伎役者として生きることが運命付けられたかのように、歌舞伎の世界で生きていくことになる。
そんな映画を見て、これは歌舞伎の魅力と才能によって狂人達の物語だと思った。
この映画の冒頭は、雪が降るある日、楽しげな組の飲み会、余興で歌舞伎を演じる幼い頃の "東一郎" から始める。その楽しげな雰囲気は、男達の怒声と血飛沫によって壊れ、雪が降る中庭の中心で、銃に撃たれて死ぬ父の姿を、見ていることしかできなかった "東一郎" の人生は、この時点で決まっていたように思う。
この映画にはたくさん印象に残るシーンはあるが、この父親が雪の上で倒れて死ぬシーンは、その直前の息子に向ける目線や言葉なども含めて、とても印象に残っている。このシーンに抱いた感情に近しい言葉は、おそらく「美しい」だと思う。真っ白な雪景色の中、腹部から流れる赤い血が広がっていく様に、グロさは全く感じなかった。
ここから上方歌舞伎の名門の当主 ”半二郎” に引き取られ、"東一郎" という名前を貰い、歌舞伎役者としての人生が始まっていく。
歌舞伎は難しいということで、この映画を見ることを躊躇っている人もいるかもしれない。しかし安心してほしい。自分も歌舞伎は見たことがないし、知識だってない。それでも歌舞伎という舞台の魅力はとても伝わってきた。
それと同時に裏方の苦悩や、役者の難しさ、歌舞伎という社会の闇も、辛い程に知ってしまった訳だが……。
まず "東一郎" と半二郎の息子・俊介こと "半弥" の二人の修業風景が描かれていく。高校生活という青春の全てを、父親 "半二郎" にぶん殴れらながらの厳しい修行が続く。それは舞台に立つために必要な愛の鞭といえば聞こえは良いが、身体が痣だらけになっている様子を見ると、何とも言えない感情になる。
息子・俊介は生まれながらにして、こういう生活を血筋によって決定づけられていたと考えると、同情してしまうのは間違っているだろうか。この映画の終盤で、とある人物に「こういう生き方はできないよな」と言われるのだが本当にそう思う。きっと同情するのは間違っているのだろう。彼は後悔のないように足掻きながら生きた。
そんな彼のライバルとして、しかし同じ歌舞伎の世界を生きる友達として、 "東一郎" は歌舞伎役者としてデビューしていく。そんなデビュー演目は『二人藤娘』。いわゆる新人女形二人がバディを組んで、演じる演目だ。
血筋の子と、そうじゃない子。
役者として遊びや豪快さも大事だと言う子と、演技に真摯に向き合う子。
……この辺りの対比が残酷なくらい描かれる。しかし歌舞伎の舞台上での二人は、しっかり形になっているように見えた。見えたのだが、それは素人目だからなのだろうか。
芸を極めるには、何かしらを捨てなければならないのだろう。
作中、 "東一郎" が悪魔に願うシーンがある。「何もいらないから日本一の歌舞伎役者にさせてください」と。しかもこれを自分の娘に話して聞かせている。そしてその言葉を有言実行するかのように、その娘を彼は認知していない。娘が「お父さん」と話しかけるも一切無視しているシーンは、一瞬理解できなかった。
彼はそういう道を選んだのだ。
彼の芸は多くの人を惹きつけて、彼ら全員を狂わせる。
その生き様の行き着く先であるラストの演技は圧巻の一言。恐ろしい映画であった。