工大生のメモ帳

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【映画】言の葉の庭 感想

※ネタバレをしないように書いています。

空の匂いを連れてきてくれる雨が好き

情報

監督・脚本:新開誠

HP :言の葉の庭

ざっくりあらすじ

梅雨の季節、日本庭園で出会った靴職人を目指す少年と、歩き方を忘れた女性が出会う。雨の日にしか出会うことのない二人の距離は、いつしか縮まっていき……

感想などなど

雨が降る前というのは、なんとなく分かったりする。それは湿ったアスファルトや土の匂いだったり、肌に張り付くような空気の質感、空を覆い隠す雲の色や形から……表現の仕方は人の数だけあるだろう。

そして降り出す雨というものも、種類というのは多岐に渡る。雷が鳴り響く激しい雷雨や、髪の毛をしっとりと濡らす程度の霧雨や、太陽の光とともに地面に降り注ぐ天気雨など。名称だけでも調べればたくさんでてくる。

だからこそ小説や映画では、登場人物達の心情を描写する上で天気というものが使われたりする。怒りを表す落雷のように。不安を表す分厚い雲のように。

本作も例外ではない。確実に登場人物――少年と女性の二人――の関係性や心情というものを雨を代表とする空によって表していた。そのため背景というものには、かなりの力を入れていることが見て取れ、その作画の美しさも本作の魅力の一つだと言える。

だが、ブログ主は本作を語るとするならば、作画よりも演出や構成の方を語りたい。ネタバレをしないという制約をかけてしまっているが、何とかして魅力を伝えられるように努める。

 

改めてあらすじを説明すると、『雨の日に日本庭園で、靴職人を目指す少年と歩き方を忘れた女性が出会い、心を通わせていく』という実にシンプルな内容だ。分かりやすくて有り難い。

しかし、実際はそれほどシンプルではない。徐々に座る間隔が狭まり、話しかけるときの呼び名が変わっていくことで表現される『少年と女性の関係性』の変化と同様に、『大人と子供の対比』が細かな台詞や演出によって施されている。

『大人と子供の対比』というものが分かりやすいのは、少年が女性と出会い、彼女のことを語った台詞――「まるで世界の秘密そのものみたいに、彼女は見える」――最初はとてもミステリアスに、とても遠くにいる存在として女性が描かれている。

まぁ、実際のところ。

日本庭園で朝から酒を飲み、しかもつまみはチョコレートで、いきなり初対面であるはずの少年に短歌を語り出すという変わり者のようにしか見えない訳だが、少年の未だ知らない社会で生きていて、会社に通勤しているであろう彼女のことは憧れの対象だった。

つまり冒頭だけを見た段階では、少年から大人に対する憧れが描かれている。だからこそ自身が靴職人を目指しているという夢を、少年は彼女に語ったのだろう。

しかし中盤に入ると、大人である女性から見た世界が描かれていく。仕事に行こうとしても歩き出すことができず、結局日本庭園にやって来ている彼女は、「自分は嘘ばかりをついている」と語り、少年のいない自分の部屋にて顔を手で覆った。不器用な彼女は卵を割れず、作った弁当も個性的な味である。

つまり中盤では大人から見た世界というものが描かれ、少年が抱く憧れとは対照的な現実がまざまざと見せつけられる。

 

しかし、そんな二人の世界が交差していく明確な転換期とよべるシーンがある。

靴職人に憧れる少年が「靴を贈りたい女性がいる」と語り、女性の足の採寸をするシーンだ。靴を脱いだ彼女の素足に触れて、メジャーや分度器を使って測っていく。少年は明確に誰に贈りたいのかを語らなかったが、二人ともその言葉の真意は理解していて何も語らない。安易なエロではなく、男女の触れ合いという意味での美しさを感じられるシーンといえよう。

そこで初めて女性は語る。「上手く歩けなくなっちゃったの」と。

ただ降りしきっていた雨の情景に光が差してくるという美しい描写がなされ、これまで少年だけが自分のことを語っているに過ぎなかった一方的な関係性が、ここに来て変わっていくということを暗に教えてくれた。

ストーリーもその辺りから大きく動いていき、二人の見ている世界というものが重なり合っていくことで、『少年と女性の関係性』が大きく変化していく。それが世間的に許されることかは置いておいて。

靴がなくても歩けるように練習していると語り、嘘つきな自分に自己嫌悪していた彼女……靴を作ることでしか違う世界を見ることができず、大人に憧れ続けた少年。そんな二人が迎える一つの終着点。最後の空はとても美しかった。

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