※ネタバレをしないように書いています。
不器用な二人の共同生活
情報
作者:ヤマシタトモコ
試し読み:違国日記 (3)
ざっくりあらすじ
中学の卒業式をばっくれた朝も、高校デビューを果たした。しかしどうにも空回る。そんな彼女の悩みに、耳を貸さずにいつも通りに淡々と話す槙生。
感想などなど
ブログ主にとっての高校デビューは、遠い記憶の彼方にある。
あの頃は、高校生活が始まることへの期待感で胸がいっぱいだったと思う。自分の置かれた環境ががらりと変わることへの恐怖心よりも、期待感の方が遙かに高かった。
高校くらいまでならば、実家から近いところに通う者も多い。環境が変わるとはいっても、顔見知りが多いという人もいることだろう。朝もそんな高校生の一人で、入学初日から中学時代に見たことある人が声をかけてきた。
ばっくれたせいで受け取れなかった卒業の記念品を、高校生になってから受け取る。朝が卒業式をばっくれたことを、高校生になってから知った者もいる。高校生は自分が大人に近づいたと思うかもしれないが、結局のところ、中学との陸続きのようにまだ子供じみているように感じられた。
そんな朝は、自身の不幸な身の上を、何でもないように語って見せた。両親が事故で死んで、超人見知りの叔母さんの家で住むことになったという現状説明を聞いて、周囲の反応は……普通だった。
どういう反応を朝は望んでいたのかは想像の域を出ない。ただ彼女が想像するよりも、周囲の反応はどっち付かずだったことは、朝の藩王を見るに明らかだった。彼女の心境はたった一言「わたしは非凡なのだと思われたかった」と書かれている。
平凡と非凡を分けるルールに、両親の有無があるのだろうか。
ブログ主的には疑問である。
朝はそんな高校デビューを失敗したと思っているようだ。そして深く反省し、その話を保護者である槙生にした。対する保護者は「へー」という間延びした返答を返す。それは相づちなのだろうか。耳に言葉が入ってきたことへの反射なのかもしれない。
死んでいった朝の母は、高校デビューで失敗した朝に何と返すだろう。朝にとって大人とは、母親のような人を指す。槙生の反応は「恥ずかしい」「仕方ない」「次 気をつけて」のいずれかと予想していたが、そのどれにも属さない「へー」は、大人らしからなかった。
そんな朝の心情を読んでいくと、色々と考えさせられることがある。
子供は大人の反応を予想しながら生きているのではないか? と。
大人が自由にして良いと言っても、結局子共は大人に褒めて貰えるような、認めてくれるような行動をするようになっている。朝の場合、その大人が母だった。だからこそ大人である母親が「恥ずかしい」「仕方ない」「次 気をつけて」というようなことをしてしまったことを反省していたのだろう。
もう母親は死んでいるのに、だ。
彼女のこれまでの短くない人生で、心の中に形作られた母親の像が、これから先も朝の行動を縛り、しなくてもいい反省を促してくる。たとえ死んでも、保護者が全く違う考え方する違う人でも、その縛りは消えない。
高校での体験は、それから先の人生を大きく左右するように思う。想い出として心に刻まれるという意味でも、それから先の人間関係や考え方を決定づける一因としても。
中学生と陸続きというように、最初の方で書いた。つまり自己を模索し、これからどう生きるかが漠然と固まっていく。その道中にいる朝が、槙生との生活でどのように成長していくのか。
まだまだ生活は始まったばかり。これからどんな学園生活になっていくのかが、ちょっとばかり楽しみである。