※ネタバレをしないように書いています。
1970年の夏
情報
作者:村上春樹
試し読み:風の歌を聴け
ざっくりあらすじ
1970年の夏。〈僕〉は友人の〈鼠〉とビールを飲む。解放した女の子と親しくなる。あっという間に夏は過ぎ去っていく。
感想などなど
物語を飲むことは水を飲むことに似ていると大学の後輩が言っていた。いや、正確には水を飲むように読める本が良い本、だったかもしれない。とにかく本著を読んでの感想を語る席での会話だったことは確かだ。
水を飲むように読める……このフレーズが個人的に本著を的確に表現してくれているように思う。普通、同じ物語を何度も何度も何度も読んでいると流石に飽きる。しかし本著は飽きない。
新しい発見があるエンタメ的な楽しさもあるかもしれない。しかしそれよりも、その時の心情にマッチした素敵な文章との出会いが、本著にはあるのだ。
そんな素敵な文章がスルスルと入ってくる。文章が上手いというのは、こういうことなのではと思う。村上春樹の作家としての色は、デビュー作である本著において既に完成されていたのだ。
あらすじを書いてはいるが、本著には明確な物語と呼べるものはないようい思う。あっという間に過ぎ去っていく一夏を、サラリと描いた。そんな感じだ。
体感としては小説よりも詩集の方が近いかもしれない。ビールを友人と飲むという行為一つが、オシャレに切り取られ、大事な思い出の一つとして取っておきたいような素敵に満ちている。
「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」
主人公(おそらく村上春樹自身)が大学生の頃に偶然出会った作家が、文章について語った台詞から本著は始まる。
「完璧な文章が存在しない」と考えることの理由として、「完璧な絶望」という聞きなじみのない概念がないことを語っている。理屈で厳密に考えて見ると良く分からないが、大学生に文章について語る作家の性格や語られた背景を想像させる。それに妙な納得感もある。なんとも不思議な文章だと思う。
僕にとって文章を書くのはひどく苦痛な作業である。
先ほど書いた台詞から始まって、冒頭では文章を書くことについて語られていく。しかし上記と矛盾するように、次の一文もある。
文章を書くということは楽しい作業でもある。
そんな矛盾した感情を抱えた村上春樹の文章は、下記のように説明される。
夜中の3時に寝静まった台所の冷蔵庫を漁るような人間には、それだけの文章しか書くことはできない。
そして、それが僕だ。
ここまでの締めに至る冒頭だけならば、きっとブログ主は二十回くらい読んでいる。本が読みたいけど疲れていて目が滑る、そんな時に丁度良い。
本著を読んでも面白いとは思えない人もいると思う。面白さを理解できない人もたくさんいると思う。そんな人ほど、本著を何回か読んでみて欲しい。読む度に感じることが変わってくる。その不思議な感覚を味わって欲しい。
とにかくオススメしたい作品だった。