※ネタバレをしないように書いています。
絶望を断つ刃となれ
情報
作者:吾峠呼世晴
試し読み:鬼滅の刃 8
ざっくりあらすじ
魘夢と炭治郎との戦いの決着しようとしていた。しかし、その渦中に現れる新たな鬼。炎柱・煉獄杏寿郎も動き出し、強者同士の炭治郎達では追いつけないレベルの戦いが繰り広げられていく。
感想などなど
強者同士の戦いは、弱者からしてみれば、何が起きているのか分からないということがしばしばある。長い年月をかけて磨き上げられた技術の粋が、ぶつかり合ってどちらかが負ける。負けが則ち死と直結するシリアスな世界観において、そういった戦いは互いに絶対負けられないたった一度だけの勝負となる。
この第八巻において描かれるは、そういった戦いだ。
自らの技を駆使して、無限列車の乗員を誰一人として死なせなかった柱・煉獄杏寿郎。
長い年月をかけて強くなることだけを考えてきた上弦の参・猗窩座。
二人の強者がぶつかり合い、炭治郎達はその戦いを目で追うことすらできず、助けに入ることすらできない。その戦いは映画化までされたことで、漫画よりも映像で見たという人も多いことだろう。かくいう自分も映画館に足を運び、「鬼滅の刃 無限列車編」を見に行っている(感想も書いている:【映画】鬼滅の刃 無限列車編 感想)。
アニメーションとなると目に鮮やかな戦闘にばかり目が行くかもしれない。だが、注目すべきは煉獄杏寿郎という一人の人間としての生き様だろう。
煉獄杏寿郎と猗窩座のファーストコンタクトは最悪であった。
「初対面だが俺はすでに君のことが嫌いだ」と猗窩座に言い放つ杏寿郎。
「そうか 俺も弱い人間が大嫌いだ」と答える猗窩座。
「俺と君とでは物ごとの価値基準が違うようだ」という杏寿郎。人間と鬼――分かりあえることのない両者の考え方の差が如実に表れている。それでも「お前も鬼にならないか?」と誘ってくる猗窩座。
彼の行動理念は強者とただ戦いたい・自分が強くなりたいということであるようだ。その自身が戦うに値する強者として、煉獄杏寿郎は選ばれたようだ。「至高の領域に近い」と評された杏寿郎の技は、猗窩座の腕を一刀両断し、多くの傷を与える。
しかし、奴は無惨の血を多く与えられている上弦の鬼である。そんな傷は瞬時に癒え、疲れも感じない。
それに対する杏寿郎は、受けた傷は残り続ける。額が割れて血が滴っている。潰れた左目の視力が戻ることはない。内臓は潰され、骨は折れたまま。表情に余裕はない。そんな姿の人間に対し「鬼になれ」と声をかけ続ける。
それに対する杏寿郎のアンサーが個人的には好きだ。
「老いることも死ぬことも人間という儚い生き物の美しさだ」
「老いるからこそ死ぬからこそ溜まらなく愛おしく尊いのだ」
「強さというものは肉体に対してのみ使うことばではない」
「俺は如何なる理由があろうとも鬼にならない」
その杏寿郎の精神は、次の世代――炭治郎達に引き継がれていく。
まさかの上弦の鬼との戦いを終えて、ここから先の展開は上弦以上の鬼との戦闘しか描かれなくなる。鬼の討伐依頼は尽きないが、それらは全てカットされていく。この作品におけるラスボスは無惨だとして、そいつを除く鬼の中で上弦が最強なのだ。それ以下の奴らとの戦闘は描く価値もない。滅茶苦茶テンポが良い。
逆に炭治郎達と鬼との戦闘が描かれるとすれば、それは上弦かそれに準ずる存在ということになる。杏寿郎の教えにより、代々炎柱を排出する煉獄家に訪れ、”日の呼吸” なる全ての呼吸の始祖のヒントを得た炭治郎が、どれほどの成長を遂げているのか?
そんな期待を胸に抱きつつ、第九巻へと進んでいく。
音柱に連れられて向かう次の場所は遊郭。心してかかろう。