工大生のメモ帳

読書感想その他もろもろ

点数評価は面倒くさい

よく「これは何点」「これは★三つ」というような形式で作品を評価するのを見かける。はっきり言って、その点数にどれほどの意味があるのだろうかと、いつも疑問に思っていた。

作品を見た感想というのは、時と場合に変わっていく。子供の頃に見た映画を、大人になって見ると評価が大きく変わっていくように。元ネタを知らなかったが故に下がっていた評価が、元ネタを知ったことで評価が上がるかもしれない。

心身共に疲れたときにシリアスな作品はキツかろう。そういったときには何も考えず頭を空っぽにして読める作品がいいかもしれない。なろう作品にファンとアンチが散見されるように、作品の評価なんて二極化されても珍しくはない。

 

だからこそ、「これはゼロ点ですね……」というように言われたからと言って、脳死で「つまらない作品なんだ!」と考えるのは愚の骨頂。大抵の場合、「何故ゼロ点なのか?」という理由をそのレビュアーが語ってくれるので、そこを聞いて買うか、買わないかを判断すれば良い。

結局大事なのは中身である。

 

ここまで点数評価によって買うことを決める読者層視点で語っていたが、ここからは感想を書いている人間視点で語らせて欲しい。

点数評価というのは面倒くさいのだ。

 

点数を評価する競技であるならば、先頭が有利だったり、後発が有利だったりする。それは先頭を基準にして、その後の点数を決めてしまうが故に発生する不条理だ。

それは感想を書く場合も発生する。似たような作品があるのであれば、そちらとの比較が無意識のうちに行われる。そこに点数をつけるとなれば、「どっちが面白いか」という終わりの見えない終着点を模索し始める。これは無意味だ。

なにせ大抵の場合、どちらも面白いのだ。好みという問題もあるかもしれないが、それぞれにファンがいて、面白いと思う点も異なる。

点数をつける方式として、加点評価と減点評価というものがある。それぞれメリット・デメリットがあるのだろうが、創作物に点数をつける際には作品を楽しむ際の障害にしかならない。様はともに粗探しをしているのに過ぎないのだから。少なくともブログ主には耐えられない。

ただ物語の世界に没頭していたい。ただそれだけだ。

 

作品に点数をつけている人は、本当に凄いのだと思う。自分の中に明確な評価基準というものを持っていて、数多の作品を読んでもそれが歪むことなく存在し続けていて、粗探しなどせずに点数をつけることができているということなのだから。

いやはやブログ主には無理だ。今日も適当に読んで、適当に感想を書くことにしようと思う。