工大生のメモ帳

読書感想その他もろもろ

(小説の中で)リア充を爆破した話をしようと思う。

今週のお題「爆発」

「リア充爆発しろ」というリア充を卑下するネットスラングがある。幸せそうなリア充に対する嫉妬や羨望が生み出した言葉であり、決して現実世界に持ち出してはいけないネットのノリの一つだと思う。

この言葉をSNS上で書き込んだところで、爆発物を製作しているような輩はいない(と信じている)。爆破予告により警察の厄介になる者も出てくる現代社会において、使うことはリスクとなりつつあるようだが、あくまでノリとして、直接的な誹謗中傷を避けた言葉として定着したのだろう。もう死語かとも思うが。

ギャグ漫画で締めに困ったときに使われる爆発オチのように、死者が出てくる訳ではない弄りの類いとして、この言葉を吐かれた方は、生暖かい目で、ブロックでも無視でもしてあげてほしい。

さて、そんな言葉をモチーフとして小説を一本書き上げた者がいる。

何を隠そう、ブログ主である。

 

タイトルも直球に「リア充爆破委員会

『恋愛に繋がるような行為をした者』を爆破することを生業とした委員会――リア充爆破委員会が、猛威をふるう学園において、何とかして恋がしたいと足掻く者達の戦いを描いた群像劇である。

リア充が爆破されるということは、爆発物が使われるということである。だったら薙刀を振り回して襲ってくる委員会がいても違和感はないし、モデルガンを装備して訓練も積んだ特殊部隊のような委員会がいても不思議はない。

そういった危険な委員会もたくさんいる中で、何とかして愛しのあの子に近づこうと頑張っている高校生達。

告白しようとしたら戦闘が起きるし、デートしようとしたら戦闘が起こるし、大好きなあの子が拉致されたりもする。キスは甘酸っぱさよりも、血の鉄味が近いかもしれない。告白一つとってしても、特殊な知識が要求されるかもしれない。

それでも作中の高校生達にとってすれば、それは普通のことである。

 

「心の底から好きならば、爆発も妨害も何もかも乗り越えて見せろ!」と、リア充爆破委員会の会長も語っている。爆破程度で諦める恋ならば恋ではない、と。まぁ、書いたのは自分なのだが、この作品の根幹に流れる思想はこれだ。

今回の作品を書き始めた際には、「リア充をいっぱい爆破してやろう」的な魂胆があったことは否定しないが、最終的には恋愛賛歌の要素が強くなったように思う。プロットを組み、文章を書きながら「こんな恋愛体験がしたかった」とは微塵も思わなかったが、こんな戦いが共にできる相手が欲しかったとは思った。

「好き」とは一言も言わずとも、キスをしたことがなかったとしても、共に一つの目的のために血と汗を流す両者の関係は、カップルと呼ばずして何と呼ぶべきか。作者としても、一人の人間としても、答えが出せずにいる。

個人的には、無茶苦茶な設定を違和感なく読ませることができ、群像劇のストーリーを上手くまとめることができたと思っている。途中から自分の作品の宣伝となってしまったが、どうか読んでいただけたら嬉しい。