工大生のメモ帳

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【映画】HELLO WORLD 感想

※ネタバレをしないように書いています。

俺はただのエキストラだから

情報

監督:伊藤智彦

脚本:野﨑まど

HP :オリジナル劇場アニメ『HELLO WORLD』公式サイト

ざっくりあらすじ

本が好きな少年・堅書直実は、ある日、十年後の未来からやって来たという自分に、「今いる世界は、過去のデータを元にして作られたもう一つの世界」であるという話を聞かされる。そして同じ図書委員である一行さんと付き合えるように、未来の出来事が書かれたノートを使って手助けをしてくれることになるが……

感想などなど

情報化社会における技術の進歩は目まぐるしい。十年前と今を比べてみると、その変化に末恐ろしさすら覚えてしまうのは、ブログ主だけだろうか? SF作品の中で描かれていた技術が、いつか日常に溶け込むことを考えると、期待もあるが恐怖も感じる。

本作では『量子コンピュータ』が2020年に日常に使えるほどにまで開発が進み、2027年現在では大きな発展を遂げた世界であるという設定である。つまりはこの『量子コンピュータ』について知っていなければ、ストーリーを理解することは叶わない。

ラストの展開に納得できないという声が多数聞かれるが、この原因の一つに、『量子コンピュータ』とSAOに代表されるような『VR(仮想現実)』を混ぜて考えてしまっている説を提唱したい。映画を見るより前に、まずその点を整理しておくべきだろう。

『量子コンピュータ』を一言で言うなれば、『これまでとは比べものにならないほどに計算が速くできるコンピュータ』だ。しかも作中の設定に則れば『一つの宇宙を再現できるレベル』である。

ゲームで描写される世界の範囲は、せいぜい数字で表すことが可能だ。しかし、宇宙ともなると良く分からない(宇宙は数学的に表現できないとか諸説あるので調べてみると楽しいかも)。その凄さが分かって貰えるだろう。

しかも凄さはただ広いだけではない。ゲームではプレイヤーが存在して観測するからこそ、世界が描写されていく。噛み砕いて説明すると、プレイヤーがいて主人公を動かすことでしか、その世界の時間もストーリーも進まない。

しかし『量子コンピュータ』ではゲーム内のエキストラ達が世界を観測していく。つまり現実を生きる我々と同じように、『量子コンピュータ』内では生きている人間がいて、それぞれが勝手に時間を生きて、人生というものを歩んでいく。つまりはもう一つの現実がそこにあることを意味する訳だ。

 

ここで映画のストーリーの話を進めたい。

本作の主人公である堅書直実は『量子コンピュータ』により実現された世界の中に住む一人の人間であり、十年後の未来からやって来たもう一人の直実は、外の世界からやって来た。

十年後の堅書……面倒なので先生と呼ぶが、彼が十年後からやって来た目的は、『同じ図書委員に所属する一行さんと付き合い、数ヶ月後に死ぬ彼女の運命を変えて欲しい』のだと語る。『量子コンピュータ』によって実現された別世界で、運命を変えたところでリアルは変わらないが、彼女を救いたいという先生の意思は固いようだ。

そのために託された武器は二つ。未来のことが書かれたノートと、グッドデザインという物質の情報を書き換えることができるカラス……が変化した手袋である。

未来のことが書かれたノートにより、かつて先生が一行さんと付き合うまでに辿った過程を、同じく辿っていく。先生が現れたことによる変化で、一行さんと付き合えなくなっては困るためだ。

ここでのポイントは、『最初、堅書は一行さんのことはタイプではなかった』ということになる。ノート通りの行動、ノート通りの発言をすることで、一行さんとの距離は一気に近づいていく。しかし、そこに堅書自身の意思が混在しているかと言われれば、首を横に振るしかない。

初めて彼の意思が介在することになるのは、ノートに書かれていなかった展開が起きた時。そこで初めて一行さんという同級生を意識し始め、映像としての演出もそこだけ急にドラマチックになる。ここが物語としての大きな転機であり、そこから堅書として自分の思いで一行さんと接するようになる訳だ。視聴者に優しい分かりやすい構成である。本作を見るときは、その辺りの演出に少し注目して見て欲しい。納得できるはずだ。

グッドデザインという手袋は、脳内で想像した物体を、世界に創造することができるようになる。しかし原子単位で想像する必要があるため、科学に関する知識や、物体の構造に関して造詣が深くなければ扱うことはできない。そのため人といった複雑で理解できないものは作ることができない。

逆に言ってしまえば、理解できるものであれば何でも作ることが可能。この設定がアニメーションでしか扱えないようなアクションシーンを生み出している。目に鮮やかで、視覚的に面白いシーンが続くので、ブログ主的には楽しめる良い設定だったと思う。

 

本作ではこれまで長々と書いたように、二人の堅書直実が登場する。名前が同じで、遺伝子情報だって同じ、違うのは時間軸だけ。先生も最初、「お前のことは何でも分かる」と過去の自分に向かって告げている。

だが後半になると、二人に対して受ける印象というものが変わっていくようになる。

ここで思い出して欲しいのは、それぞれ二人とも別世界の住民であるという事実だ。例え過去のデータと同一の世界であるとは言え、先生が来たことによる影響――作中の偉い先生は『バタフライエフェクト』と呼んでいる――はそれほど小さなものではない。

二人の堅書は、それぞれの世界で確かに存在していて、それぞれのストーリーを歩んできた。そこだけは絶対に揺るがず、虚構や夢などではない。そこを忘れないでいて欲しい。

 

 

本作を視聴して納得できない点もある。しかし、それは設定の話ではなく(京都駅の理由などない訳ではないが)、あくまで物語の構成としての疑問だ。

例えば。

図書委員には一行さんの他に勘解由小路美鈴という少女がでてくる。彼女の必要性というものが良く分からなかった。いないならいないで、物語としては進行することはできたように感じる……と思っていたら、彼女について描いたIFストーリーが小説として販売されていた。なるほど、こうして気になった人に買わせる訳ですね。分かります。

全体として構成や演出が分かりやすいという印象を受けた。堅書が一行さんを意識し始めるシーンしかり、CGで描かれているということを生かしたストーリー上のギミックもあった。同じシーンを繰り返すことで伏線は伏線として認識できるし、ストーリーの理解も難なくできる。

設定に関しては、ブログ主が工業系の人間だからこそ理解できたのかもしれない。量子コンピュータの凄さに関しては、もっと説明すべきだったのでは? と思わなくもない。

総評として、多分理系の人間は本作を好きになる。ブログ主はそうだった。

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