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【映画】さよならの朝に約束の花をかざろう 感想

※ネタバレをしないように書いています。

一人

情報

監督・脚本:岡田麿里

HP:映画『さよならの朝に約束の花をかざろう』公式サイト

ざっくりあらすじ

ヒビオルと呼ばれる布に、日々の出来事を織り込みながら生活するイオルフの民。十代半ばで成長が止まり、そのままの姿で数百年の時を生きる伝説の一族とされていた。両親のいないイオルフの少女・マキナは、一族の仲間とともに穏やかな日々を過ごしていたが、レナトと呼ばれる竜に跨がり、レザート軍が攻め込んできた。

感想などなど

物語を見て、人が感動する理由は何だろうか。

人が死んだら泣くというほど、視聴者は単純ではない。それならばホラー映画はずっと泣きっぱなしということになってしまう。死ぬにしても、そこに至るまでの積み重ねがなければならないのだ。

嬉し泣きという言葉がある。

スポーツの試合で勝利して嬉しくて泣くということは良くある。努力が報われたことによる達成感や充足感、様々な感情がごちゃまぜになって生まれる感動は、長い長い積み重ねがあってこその感動であろう。

本作を視聴することによる感動は、どちらかと言えば『嬉し泣き』に近いように感じる。映画の尺に詰め込まれた苦節の日々、ただただそれが報われるであろうことを望んで視聴を続けて得ることのできる結末は、それまでの積み重ねがなければ分からない感動があった。

 

本作ではイオルフの民という数百年の永い時を生きる一族の少女、マキナが主人公である。両親がいない彼女は、どこか一人寂しい気持ちを抱えて生きているという様子が、平穏な日常から垣間見える。

そんな彼女に対して長老は、「誰かを愛してしまっては、本当にひとりぼっちになってしまう」と語る。いまだ幼い少女は、その言葉を推し量れずにいた。その言葉の意味が分かるのは、ずっと先のことである。

あらすじでも示した通り、イオルフの民達はレザート軍と呼ばれる軍隊に攻められる。レナトと呼ばれる伝説の竜に、鉄の鎧に剣を携えた彼らに対して、武器を持たず、ただ布を織ることで生活していた彼・彼女達に反抗する手立てはない。

レザート軍の目的は、イオルフの民に流れる血であった。数百年を生きるという彼女達に子を産ませることで、我々も永遠の時を生きられるようになろう……という訳だ。事実、マキナの友人であるレイリアは王子との子を産まされる。

ただ一人、マキナだけは、暴走した竜に捕まって逃げ延びることに成功する。目を真っ赤に燃やしながら、雲の上を滑空する姿は、伝説の竜の名に相応しい。また、そこから見た景色というのも素晴らしい。

そして逃げ延びた先で、マキナは一人の赤ん坊を拾った。盗賊に襲われたのであろう集落の、ただ一人の生き残りである彼を、エリアルと名付けて、母親として育てることにする。

ただ一人エリアルを愛し、母親になろうとする彼女の奮闘の日々が始まる。そんな彼女の脳裏には、「誰かを愛してしまっては、本当にひとりぼっちになってしまう」という長老の言葉が浮かんでは消えていた。

 

この物語の主人公はマキナであると言った。しかし同時に、エリアルという少年の人生を描いた作品であるようにも感じる。

エリアルは少し成長すれば、マキナが本当の母親ではないということを悟った。それもそうだろう、母親にしてはあまりに幼く似ていない。その上、どんなに年月が経過しても容姿が全く変わらない母親ということになれば、関係性を疑わない者はいないだろう。

いつしかエリアルはマキナのことを母さんとは呼ばなくなった。血が繋がっていないことに気付いたから? それだけが理由ではない。この理由については、作中彼の口から直接語られる。

さらに年月が経過すると、エリアルは完全に母親の元を離れた。そして、兵士としてラザーナ軍に所属し、国を守るために闘うことになる。

戦争の幕開けである。

多くの人の命が奪われる。死の匂いが充満する。

最後の最後まで、物語をどう締めるのか分からなかった。しかし怒濤の展開で物語は一気に幕を締めていく。ラストに描かれるたくさんの ”さよなら” と “涙” が描かれていく。しかし、そのどれもが悲しさだけのものではない。

悲しい ”さよなら” ばかりではなく、次にある出会いを楽しめる ”さよなら” を。

悲しくて流れる ”涙” だけでなく、期待込めた ”涙” を流した。

良い映画でした。

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