※ネタバレをしないように書いています。
必死に生きるか、必死に死ぬか
情報
監督・脚本:フランク・ダラポン
原作:スティーヴン・キング
ざっくりあらすじ
妻とその愛人を射殺したとして、ショーシャンク刑務所に収容されたアンディ。警務主任や囚人達からの暴力を受けながらも、元銀行家としての手腕を生かして、徐々に信頼を勝ち取っていく。
感想などなど
ブログ主は本映画の原作を読んだことがある。読んだのはかなり昔のことだったということもあるが、あまり印象に残っているシーンや台詞というものもなかったように思う。ただ主人公であるアンディが仕掛けたギミックだけが、どこか記憶の片隅にあるだけだった。
だが映画はどうだろう。原作にあったがどうかは定かではないが(あったらごめん)、かなり印象に残るシーンや台詞というものを上げることができる。『必死に生きるか、必死に死ぬか』なんて、その代表例だ。
それ以外にもラストの太平洋を一望するシーンや、大雨の中で天を仰ぐアンディのシーンなど、ネタバレをしないという無駄な制約を課しているせいで語れない忘れられないシーンというものがある。
本映画を見たことのない人にとって、ここまで語った印象深いシーンや台詞は、全くもって意味の分からないものであろう。それぞれに印象に残るに至った経緯と、積み重ねというものがある。それらをネタバレをせずに語っていけたらと思う。
まず本映画は、アンディが妻を射殺したという罪状に関して裁く法廷のシーンから始まる。どうやら妻はプロゴルファーと浮気をしていたらしく、それに怒りを露わにしたアンディが間男と妻のいる家に乗り込み二人を射殺……したということらしい。
アンディには、浮気をした妻と間男に対する復讐という動機があり、アリバイはないという状況。しかも無実を証明するような証拠は何一つない。陪審員達の判断は、無残にも彼に有罪判決を突きつけ、ショーシャンク刑務所へと収容されることとなってしまう。
刑務所という犯罪者が壁の内側に集められた劣悪な空間。アンディと同日に収監された囚人の一人は、深夜に独房で泣きわめいたことが看守達の目についたのだろう、殴り殺されたりする。しかし、そのことを咎めるようなものは囚人は元より、看守の中にもいない。アンディもホモの囚人に貞操を奪われそうになったりと――幸い最悪の事態は避け続けたが――どうにも生傷の絶えない日々を過ごす。
人間社会でありながら、とても狂った環境。厳しい戒律と上下関係に雁字搦めされた日々。みんな普通の顔をしているようで、どこか社会から切り離されてしまった空気が画面越しで感じられる。
そんな本作の主人公はアンディである……と勘違いされるかもしれないが、実際の語り部を担っているのはレッドという囚人である。ショーシャンク刑務所内では調達屋(取り引きをして外部からどんなものでも調達してくる)として一目置かれ、アンディと一番親睦を深めた人だと言えよう。
そんな彼を、最初はただ外から眺めていくだけであったレッド。しかし、アンディにロックハンマーの調達を依頼されたことから、段々と刑務所内という限られた世界での仲間として行動することが多くなっていく。
レッドは十年……いや二十年近い時を、壁に囲われた刑務所の中で過ごした。調達屋として、刑務所の中でそれなりの地位を築き続けた彼の立ち回りというものは、ある意味褒められたものかもしれない。
しかし、そんな彼が壁の外の社会で生きていけるかと言われれば、それはまた別の問題だ。映画内にて、レッドよりも遙かに長い時を刑務所で過ごした老人が、仮出所という形で外の社会に出ることが叶うシーンがある。
いや、叶うという言葉は不適切か。その老人は仮出所を怖がり、ギリギリまで外に出ることを拒んでいた。その理由はやはり刑務所から外に出ることに対する恐怖と表現する他ない。
数年でも社会は大きく変わっていく。それが十年、数十年と膨らんでいけば、もうそれは別世界と言って良いのではないだろうか。その上、刑務所内のルールと社会のルールは全くもって違う。外に行けば自由になるかと言われれば、またそれは違うのだ。
レッドは自由を奪われる時間が長すぎた。そんな彼と相反したかのように、自由のために心を忘れないように、最後の最後の最後の時まで足掻き続けたアンディの生き様は、レッドの目からはどのように見えたのだろう。
アンディの生き様は正しく「必死に生きるか、必死に死ぬか」であった。
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