工大生のメモ帳

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【映画】桐島、部活やめるってよ 感想

※ネタバレをしないように書いています。

できるやつはなんでもできて、できないやつはなんにもできない

情報

監督:吉田大八

原作:朝井リョウ

ざっくりあらすじ

男子バレー部のキャプテンだった桐島が部活を辞めた。それをきっかけにして歪み始める人間関係。それぞれが心に秘密や悩みを抱えながら、彼・彼女達の日常がただ淡々と進んでいく。

感想などなど

最初にブログ主は原作を未読であるということを言っておく。おそらくだが本作は、小説では表現できていたことが映画にはできないことによる表現の差が、色濃く出ているというような印象を受けた。

小説では登場人物の心情というものを直接描写することができる。しかし映画でそれをするとなると、心の声を台詞として入れるかするしかない。だがそれだと、「映画である必要がないよね?」というのがブログ主の意見である。

だからこそ俳優の演技というものが重要なのだ。表情や声色、目線の一つで視聴者はその人物の心情というものを想像し、心が揺さぶられる。そういう意味で本映画は、かなり良かったとブログ主は思う。原作の意図に沿っているかどうかは判断しかねるが。

 

さて本映画は、桐島というバレー部のキャプテンが辞めてしまったことによる人間関係の不和を、曜日ごとに章立てし、同じシーンを複数人の視点で繰り返していくことで描いている作品となっている。そのためストーリーを正しい形で説明するとなると、かなりややこしいことになってしまう。

例えば。

桐島の親友であり、元野球部の宏樹は、何も相談もされないまま辞めていったことに驚きを隠せずにいた。桐島がバレー部が終わるまでの間、彼を待つために友人と行っていたバスケも、理由がなくなってしまう。

……まぁ、事実だけを書くとこうなる。残念ながらストーリーだけを見ると本作は全く面白くないのだ。魔法がなければ、裏の世界で暗躍する秘密結社もない。手に汗握る戦闘もなければ、怒濤のドンデン返しによる伏線回収もない。ただ淡々と、高校生達の日常というものが綴られているに過ぎない。

本作の面白さを説明する上で、ストーリーというものが重要ではないということが何となく分かっていただけたのではないだろうか。

だとすれば本作の何が評価されているのか?

 

その理由を説明するよりも先に、見る人によって大きく印象が変わるということについて説明したい。先ほども説明したように、本作は同じシーンを別の人物の視点から描いている。つまりは視点が切り替わる度に、シーンに対して受ける印象というものがガラッと変わていくことになる。

おそらくはその中に自分と同じような考え方をしている人や、はたまた嫌いな人も出てくるだろう。大人であれば、自身が高校生だったころと重ね合わせ、似ていると感じてしまう人物が一人くらいはいるに違いない。

何もかも順風満杯で上手くいく天才肌にも関わらずどこか退屈していた宏樹。バトミントン部に本気で打ち込みながら、部活に打ち込むことをバカにする友人と付き合う実果。彼女がいることを知りながら宏樹に対して恋心を抱く吹奏楽部部長の亜矢。桐島のことなど露知らず、ゾンビ映画を撮り続ける前田。桐島の彼女でありながら、部活を辞めることなど何も相談されず、連絡をとることもできずにいた梨沙……他にも多くいる登場人物達の中で、あなたは誰に共感するだろうか。

 

実はブログ主、放映当時に本作を見に行ったことがある。正直に言うと面白くなかった。はっきりとした理由は覚えていないが、代わり映えのしない風景に眠くなっていた気がする。

なにせ当時のブログ主は、映画の中で描かれた学生そのものであり、作中で描かれているシーンの一つ一つに特別なものを何も見いだせなかったのだ。それほどまでに、映画で描かれているシーンというものは、高校特有の空気というものが流れている。

そんなリアリティを持って、学生当時には関わりを持つことのなかった側にいた人物達の視点まで、映画では切り取って描かれていく。見た人が共感できなかった人物というのは、おそらく学生当時に関わることのなかった人物達のことを指すのだろう。

少なくとも自分はそうだった。

本作には主人公というものはいない。見た人が共感し、印象に残って語れる人物こそが主人公であり、見た人本人なのだ。かつてこのような青春映画はあっただろうか? 少なくともブログ主は知らない。

そこが本作の評価されているポイントであるのだろう。面と向かって誰かと語ってみたい作品だった。

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