※ネタバレをしないように書いています。
信じてたのに!
情報
監督:森淳一
脚本:藤井清美 森淳一
HP :見えない目撃者|東映[映画]
ざっくりあらすじ
自らの過失により事故を起こし、弟も死なせてしまい、同時に視力まで失ってしまった浜中なつめ。それらが原因で警察官を辞めてしまう。そんなある日、車の接触事故に遭遇。車の中から聞こえてきた助けを求める女性の声から、誘拐事件の可能性があると訴えるが、視力に難のある彼女の発言はいまいち信用されず……。
感想などなど
家族だからといって険悪な関係性であるという話は別に珍しいことではない。ネグレクトによる放棄、離婚による複雑な家庭環境など、その理由は様々である。そのような環境に置かれ家出してしまうというのは、ある意味必然なのかもしれない。
そうした息子・娘の家出に対して、必死になって探してくれる親というのは一般論だ。深夜になって思い当たる番号に手当たり次第に電話をかけて、記憶にある深夜外泊できる場所を駆けずり回る親というのを、ブログ主は見たことがあるが、それは決して当たり前ではないだろう。
本作では家出をして風俗で働く女子高生が登場する。彼女達に「親はどうしてるの?」と訊ねれば、「無関心」だとか「せいせいしているみたい」だとか、親との関係性とは思えない言葉が飛び出してくる。
親の支えなくしては生きていくことの難しい未成年にとって、そういった後ろ盾がなくとも働くことのできる風俗というのは、一つの逃げ場所になっている。例え犯罪であるとはいえど、根本原因を絶たなければなくすことは難しいように思えてならない。
そういった彼女達は世間に出ることのできない存在、まさしく社会から『見えない』存在であると言えよう。
元警察官である浜中なつめは視覚障害者だ。映画の演出として時折、彼女の見える世界を再現しているような描写が挟まる。車を車としてではなく輪郭でしか捉えることのできない彼女、どこを歩くにしても必要不可欠な盲導犬……そんな彼女が事件を捜査することになるが、何をするにしても見える人々には不必要なワンステップが加わってくる。
そんな彼女の証言――車の中から若い女性の助けを求める声が聞こえた――というものに信憑性がないと切り捨てかけた警察の意見は、きっと誰も攻めることはできない。なにせもう一人の証言者である国崎春馬は、目が見える若い少年であって、彼が「中を見たけど誰もいなかった」と彼女の証言を否定したのである。
浜中なつみは事故以来、精神を病んで自殺未遂までした上、現在は精神科に通っているという背景もあり、事件性はないと判断されてしまった。
つまりは浜中なつみが事件が『見えない』、見ることのできない目撃者であった。
警察には膨大なデータベースがある。これまで犯罪を起こしたことがある人物は当然として、深夜に徘徊していた少年・少女を補導した場合にはその情報が残される。今後犯罪を起こす可能性が高さや、失踪した際に利用するためだろう。また自殺未遂をして警察に通報された場合も、情報として残される。
同時に警察官の情報というものも残されていく。浜中なつみが警察官であったという情報は、どうやら警察のデータベースに残っていたらしく、さらには事故が原因で視力を失ってしまったという情報まで筒抜けであるようだ。
つまり警察に厄介になるようなことがあれば、必ず警察に情報が残る。その情報の管理というものは徹底され、捜査に活用されていく。
しかし逆を言えば、その情報に乗っていないのであれば、捜査というのはそれだけ難航するということを意味する。それこそが『見えない』存在である。
さて『見えない』というキーワードについて長々と字数を割いてしまった。それら『見せない』存在が重要となってくる事件の概要について説明したい。
一言で言ってしまえば、『家出して失踪届も出されていないような若い女性が誘拐され、残虐な殺し方をされてしまう』という内容である。殺され方というのが、これまたかなり酷いものであって、舌を切り取られたり、目を抜かれたり、手首から先を切り落とされたりと、ジャンル・サスペンススリラーという名に相応しいグロさである。
理由はどうであれ、何かしらの殺人を犯してしまった人物は、必死になって自分の存在を隠そうとする。それが下手であれば捕まるし、上手ければ捕まらない。本映画の犯人は、そういった意味ではかなり有能であったと言えよう。
被害者は皆、犯人のことを信じていた。作中で捜査線上に浮上する救様という名前の通り、犯人は家出少女達にとって、救いの手を差し伸べてくれる神様のような存在だったのだろう。
警察や正義といったものについて、考えさせられる内容であり、良い邦画だった。こういう邦画をドンドン作って貰いたい。
映画を見るなら