※ネタバレをしないように書いています。
その刃で、悪夢を断ち切れ
情報
監督:外崎春雄
脚本:ufotable
主演:花江夏樹、櫻井孝宏、石田彰
ざっくりあらすじ
産屋敷を襲撃した無惨は、お館様の自爆と珠世の薬によって確実に追い込まれていく。お館様を守るために集まった鬼殺隊員達は、鬼の根城である《無限城》に引きずり込まれてしまう。鬼殺隊と鬼の最後の戦いが始まる。
感想などなど
『鬼滅の刃 無限列車編』の感想を書いたのは、2020年11月のことだ。丁度コロナ禍でありながら、404億円を売り上げて日本歴代興行収入第1位となった伝説として永遠に語り継がれる傑作となった。
さて、『鬼滅の刃 無限城編 第1章猗窩座再来』は、『鬼滅の刃』という作品で描かれる鬼と鬼殺隊との最終決戦の序章に当たる。原作を読まず、アニメも見ていないという方からしてみれば、何が起きたのか分からないかもしれない。
あらすじでも書いた通り、お館様による自らを囮として使った計画によって、爆破され、珠世の決死の攻撃により薬を盛られた無惨。彼の抵抗によって無限城に引きずり込まれた鬼殺隊員達と鬼達の熾烈な戦いが描かれていく。
そもそも「珠世って誰?」とか「愈史郎って誰?」という方は、アニメ一期くらいは見ることをオススメしたい。とはいえそれぞれ「鬼ではあるものの、ものすごく無惨を憎んでいる人」と理解しておけば何とかなるだろう。作中でカラスが無限城内を飛び回り、鬼の数や上弦の鬼の位置を特定したりしているが、それは愈史郎の血鬼術である。
ここまでの説明で「血鬼術って何?」という方や、無限列車編で活躍した炎柱・煉獄杏寿郎という名前に聞きなじみがないという方は、せめて『鬼滅の刃 無限列車編』だけでも見てから映画を見よう。
なにせタイトルにもなっている猗窩座は、無限列車編において炭治郎達を追い詰めた宿敵である。無限城に引きずり込まれた炭治郎と水柱・冨岡義勇は、そんな猗窩座と戦うこととなる訳だが、「おしゃべりが好き」だと語る猗窩座は幾度となく杏寿郎の名前を口にするし、炭治郎の刀の鍔は、無限列車編の一件で杏寿郎から貰ったものを使っている。
煉獄さんの精神、生き様は確実に引き継がれているのだから、それを感じられるようにしてから、今回の映画を見るようにして欲しい。
さて、鬼と鬼殺隊との最終決戦における鬼殺隊の勝利条件は、無限城のどこかに隠れて珠世の薬を解毒しようとしている無惨を見つけ出してトドメを刺すこと。そのためには鬼の中でも一際強い上弦の鬼の討伐は避けられない。
タイトルにおいて第1章と謳われている今作では、メインで猗窩座との戦いが描かれる。しかし合わせて同時に起きていた上弦の弐 童磨との戦いや、上弦の陸との戦いも描かれていく。
無限列車編を見た方ならば、上弦の参 猗窩座の強さは覚えているかもしれない。しかし無限城編を読み終えた今、改めて思い返してみると、杏寿郎と戦っている猗窩座は本気を出していなかった。もしもあの時の猗窩座が本気を出していたら、杏寿郎は即死……とまではいかずとも、朝日が出るまで粘るということはできなかったかもしれない。
無限城において炭治郎達と相対することになる猗窩座、その強さが今になってようやく理解できる。上弦陸のような二体同時に首を落とさないといけない初見殺しギミックはないし、上弦肆のようなミニミニになって隠れているような初見殺しギミックもなく、純粋に磨かれた強さに加えて鬼特有の超再生能力による圧倒的暴力は絶望感がある。
無限城という和風の装丁が施された建物が無限に続く、不気味さと幻想的な雰囲気が混在する空間における戦闘は見応えがある。どこまでも続く先の見えない穴を吸い込まれるように落ちていく。攻撃の度に壁や床が崩れ、また違う景色の世界が現れる。それらはアニメでしか見られないような迫力がある。
猗窩座と戦う炭治郎の日の呼吸は、刀が炎を纏っているような演出が。水柱・冨岡義勇の刀は水が迸るような演出が、それぞれ入ってくる。無限列車編でも、アニメ本編でもこだわられていた演出は美しい。
鬼滅の刃という作品の世界観を、無限城という最終決戦の舞台を、最高の形でアニメ化さていた。
上弦の参 猗窩座という男は、どうしてここまで強さに拘っているのだろうか?
彼は弱者を何よりも嫌っていた。杏寿郎にも強者が好きだと語り、強者たる炎柱・煉獄杏寿郎のことを鬼にならないかと誘った。そんな彼に対し、炭治郎は強者は弱者を守るべきだという持論を語り、それを聞いた猗窩座は苛立ちを募らせる。
戦いながら猗窩座という鬼の抱える矜持というものが、何となく伝わってくる。
それらの点が繋がっていくように猗窩座の過去が回想という形で描かれていく。
個人的に『鬼滅の刃』という作品の凄いと思う点は一貫性だと思う。猗窩座が鬼になる前の過去については、原作で既読済みである。その上で映画を見ていると、猗窩座の言動の意味などが理解できるのだ。
そして猗窩座を倒すことができたのは、炭治郎と義勇の二人しかいなかったのだということも理解できる。漫画を読んだだけでは気づけなかったような新しいことに気づける良い映画だったと思う。