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【漫画】熱帯魚は雪に焦がれる9 感想

【前:第八巻】【第一巻】【次:な し】
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※ネタバレをしないように書いています。

いっそ蛙になれたら

情報

作者:萩埜まこと

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ざっくりあらすじ

小雪の卒業が間近に迫り、七浜高校で文化祭が開催される。小夏と小雪、それぞれが決めた自分の未来へと歩みを始める前に、互いに確認したいことがあった。

感想などなど

第一巻を読み終えた時、これは百合漫画だと思った。

そういう読者もいるのではないだろうか。

ただ読み終えた今になって改めて考えると、本作は絶対にそういう謳い文句を出すべきではない。百合要素が薄いとかそういう次元ではなく、本作で描かれているストーリーは、心に抱えた孤独を埋め合わせるため二人の物語だと、もしくは思春期において誰もが抱える可能性がある青春物だと、語るべきだと思う。

山椒魚のように、淡い光と水槽に囲まれた水族館部室の奥に閉じこもっていた小雪先輩。そこに突如としてやって来て、二人きりで閉じこもった小夏。そこに割って入ろうとする周囲の人々がいた。文化祭で小雪と仲良くしようとするクラスのメンバーや、水族館部の新入生がそれに当たる。

どうしようもなく変わっていく周囲の環境と、それに合わせて変わっていこうとする小雪先輩を、もう一緒になれないと一人で去って行こうとする小夏。彼女の手を引っ張って、一緒に居たいと願った小雪先輩の心境の吐露が、第八巻では赤裸々に描かれた。

言ってしまえば、第二巻から第八巻はそこに至るまでの長すぎる遠回りのようなものだった。最短経路で答えを出せたならば、二巻で完結してしまう。ただ深い孤独に囚われた二人にとって、水族館部での二人きりでの活動も、文化祭も、修学旅行も必要な経験だったのだ。

第九巻はいよいよ、第一巻で語られる『山椒魚』をモチーフにした問題提起「いっそ蛙になれたらいいのに」に対する二人が出した解答が、語られることになる。

ここに至るまでの遠回りを冗長と捉えるか、二人の解答に納得できるか、それらによって作品に対する感想は大きく変わってくるように感じた。

 

「これは決して孤独な山椒魚の物語ではない――」

作中にてそのように語られている。本ブログでは飽き飽きするくらいに、二人が孤独を抱えていたという風に書いている。それは決して間違いではないと思っているし、改めて考えてみても正しいと思う。

『山椒魚』を読んだことがある人は、その結末を思い出して欲しい。

古典なのでネタバレは許して欲しいが、結局、山椒魚も蛙も外に出ることはできなかった。山椒魚はその大きくなりすぎた図体故に、蛙は空腹によって動けなくなっていたのだ。山椒魚は蛙に対し、何を考えているのか尋ね、蛙は怒っていないと口にする。

そんなシーンで終わっている。

ここだけ読むと、二人は孤独のままに死を待つだけのような結末だ。しかし、もしかしたら二匹は外に出られたかもしれない。その後は描かれていないため、想像するしかない。

ただ本作『熱帯魚は雪に焦がれる』では、孤独を抱えた二人は最後に穴蔵の中から外に出ることができた。山椒魚が穴から眺め続けた景色を、蛙と山椒魚は見ることができなかった景色を、二人は歩いて行くことができるのだ。

 

第九巻は三部構成になっている。

第一部は文化祭での話、ここで二人のこれまでの総決算が行われる。第二部では大学受験に合格した小雪に対し、小夏がこれからの決意表明を行う。第三部では小雪が卒業してから一年後、二人のその後が描かれる。

それぞれでなんか新キャラ出てるじゃんとか、大山椒魚可愛いとか、あんたの姉ってそうだったのかとか、予想外の情報が出てくる。それぞれ新生活への希望が垣間見えたり、世間の狭さを実感させられたりすることとなる。

おそらく、これから先の生活も楽ではない。新しい友達ができれば衝突することもあるだろうし、社会の荒波にもまれることだってあるだろう。それでも、この高校生活での経験が、これまで二人がぶち当たった些細な問題が、その全てが、エピローグの笑顔のために必要だったと考えると、読み終えて良かったと思える最終巻であった。

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