※ネタバレをしないように書いています。
裏側にようこそ
情報
作者:宮澤伊織
イラスト:shirakaba
試し読み:裏世界ピクニック 7 月の葬送
ざっくりあらすじ
ネット上で怪異として語られるような存在が出現する裏世界。そこに入って探検する仁科鳥子と紙越空魚、二人の物語。
「怪異に関する中間発表」「トイレット・ペーパームーン」「月の葬送」
感想などなど
「怪異に関する中間発表」
「トイレット・ペーパームーン」
「月の葬送」
本シリーズは鳥子と空魚の二人が、裏世界の怪異に巻き込まれていく物語だ。個人的には、八尺様やきさらぎ駅といったネット上では慣れ親しまれている怪異が、現実に引き起こされるSFと言い換えても良いと思っている。
これまで起こってきた不可思議な現象の数々に、納得のできるような理屈やルールを当てはめて、対処できるようになっていく過程が、個人的にはとても学問チックで好きだったりする。
例えば。
第七巻の冒頭を飾る「怪異に関する中間発表」は、大学生の空魚が実話怪談に関する知見や考え方を、ゼミで発表してくれる。こんなブログを作ってはいるが、ブログ主は一応(腐っても)大学生だった過去がある。ゼミに通って毎週のように発表をしていた経験が思い出された。
これまで事実怪談やネットロアといったワードは何度も登場してきたが、それらを改めて言語化し、明確な定義という形で示してくれるのはありがたい限りだ。そんな空魚の発表に対し、質問を投げかけ教授やゼミ生の言葉で、読者の理解と空魚の見識も深まっていく。
個人的には「文化人類学は “異なるもの” と向き合う学問だ」という教授の話が印象に残っている。空魚が何故、実話怪談に心引かれて調べようと思ったのか? 動機の部分を曖昧にしてはいけないという助言は、今後の物語にどう繋がっていくのだろうか。
本シリーズは巻の最後に参考文献が載っている。スレッドのタイトルだったり、怪談の本だったり……ただ第七巻ではその参考文献がかなり少ない。「怪異に関する中間発表」では怪異よりも、文化人類学という学問について調査した参考書籍が掲載されている(正確には文化人類学の思考のプロセスをまとめたもの、と書くべきか)。
第七巻における中盤戦「トイレット・ペーパームーン」では、明確に名前のある怪異は登場していない(参考文献ゼロ)。何故このタイトルになったのかは、作者曰く「表表紙の仮タイトルがトイレット・ペーパームーンで、その響きがあまりに良い響きだったから」。
つまりトイレにまつわる怪異が起きるという訳でもない。だったら何が起こるのかと言われれば、閏間冴月が空魚の前にいきなり現れ、こちら側――つまりは裏世界側に来るように誘ってくる内容だ。
冴月のノートがコトリバコを呼び出した……裏世界で冴月と思われるような存在に出くわした……。彼女がもう人ではない存在になってしまったことは、なんとなくだが分かっていた。
裏世界はネットロアや実話怪談というインターフェースを通じて、表世界にコンタクトをとってきているのではないかという推測が正しいとすると、彼女は裏世界のインターフェースとして取り込まれたといえるかもしれない。
そうなった場合、インターフェースと化した冴月は死んだと言って良いのだろうか?
世間的には失踪ということになっている冴月だが、裏世界では幾度となくその姿を見せてきた。今回に限って言えば、(人間らしくない言い回しではあるが)言葉を通じて空魚を裏世界に誘おうとした。生か、死か。これは非常に重要な問題な気がする。
そんなブログ主の思考を無視するように、鳥子は明確に彼女を死んだと定義した。そして死んだとすれば、するべきことは冴月の葬式である。
彼女は鳥子や小桜さんの、「声を聞かせた相手を服従させてDS研を強襲した」女子高生・るなも協力させることで、冴月を呼び出して殺す作戦を立てた。殺すというよりは、祓うという方が作中の表現としては正しいかもしれない。
その祓うための方法も、これまでの裏世界での経験や怪談を通じての学びが生かされる。祓うための手段として、空魚は様々な怪談を逆に利用する。この辺りの展開は裏世界だからこその奇想天外なシーンが続いていく。
裏世界に現れた冴月の葬式会場。葬式会場の中央で行われる「こっくりさん」。こっくりさんとの押し問答……怖さとシュールさと熱い展開がおり混ざって、摩訶不思議な面白さを生み出している。
これまでも面白いエピソードはあったが、ダントツで好きかもしれない。