※ネタバレをしないように書いています。
鏡に答えはない
情報
作者:田中一行
試し読み:ジャンケットバンク 11
ざっくりあらすじ
村雨の指示に従って強くなった獅子神。しかし、電撃の数では追い込まれていた……タッグバトル『ライフ・イズ・オークショニア』はついに決着。
感想などなど
電撃を競り勝ってライフダイヤを集める。しかし競り勝ちすぎれば死んでしまう。ゲーム『ライフ・イズ・オークショニア』。
第十巻では村雨の指示に従って、常に最大値で競りがち続けた獅子神。そのせいで次勝ってしまえば死んでしまうというギリギリに追い込まれるも、自分の弱さを認め、周りをしっかりと見られるようになった。
第一巻から登場し、愉快な真経津の仲間達の中でも常識人枠だった愛され枠・獅子神さんが超強化された第十巻。この展開にワクワクが抑えられず、第十一巻を心待ちにしていた者も多かろう。第十一巻では村雨が獅子神を強くする必要があった訳、ただ単純に勝つだけでは駄目だった訳など怒濤の伏線回収が行われていく。
そもそも『ライフ・イズ・オークショニア』の勝利条件は、ライフダイヤを指定の数集めるというものだ。対戦相手の死は条件に含まれていない。運が良ければ、もしくは相手の協力があれば、誰一人として死なずにゲームに決着をつけることは可能である。
第十巻を読んだ方なら分かると思うが、ここまでの展開は全て村雨が仕組んだものである。全員が全員、彼の手の平の上で踊らされていた。このギリギリの勝負が演出できるのならば、獅子神を鍛えるなどという遠回りなどせず、圧倒的な勝ちというもの演出することだってできたはずではないだろうか。
しかし、そういう勝ち方では駄目だと村雨は判断した。
ただ勝つだけではなくその先を見据えた勝ち方を考える村雨。真の強者とはこういう者を指すのかもしれない。ちょっとは毎回のように身体を酷使する真経津さんも見習って欲しいものである。
そんな村雨さんが語る強さの理論が個人的には好きだ。「強さと正しさは無関係だ」そんな彼が人体を解剖し続ける理由が語られることになるが、その理由に共感し同情するものはいないだろう。ただ納得はできた。
この狂気の副産物が恐ろしいまでのギャンブラーとしての強さを生むならば、と。
そんな『ライフ・イズ・オークショニア』が終わった後は、高級計算機こと御手洗の物語へと移っていく。吉兆班にてこき使われて勤続年数(銀行でいうところの貨幣)を生み出す器械となっている御手洗は、宇佐美と吉兆主任の上司・片伯部主任の言葉で目が覚める。
「アンタは人間で、意思を持つ権利がある」
当たり前と笑うかもしれないが、それが当たり前にならない環境に置かれていたのだ。そこから真経津の元へ戻るという目標を思い出した彼は、宇佐美班に戻るための行動を開始する。
とはいえこれが簡単ではない。異動願いなんて便利なものはないし、以前のようにオークション落ちしようにも、吉兆班の行員が目を光らせている状況ではそれも難しい。そこでもまた片伯部主任の言葉が生きてくる。
「「いつも」から抜け出したいなら アンタは見つけなきゃならない」
「いつも通りじゃない何かをね」
ここで多くの人から忘れられていたであろう(ブログ主は完全に存在を忘れていた)アイテムが登場し、ギャンブルとはまた違った面白い展開が待っている。ゲームとゲームの繋ぎと侮るなかれ。御手洗の狂気が良く分かるエピソードであった。
御手洗君が苦労している最中、真経津は『ワンヘッド』に昇格していた。これまでは『ハーフライフ』だったが、それまでとのゲームとは違い「どちらかが必ず死ぬ」ゲームが容易されることとなる。
黎明との勝負ではルールの穴を突いて反則を犯させての勝ちであった。ここからはそういった甘い選択はできない。命を賭けるぴりついた勝負を楽しめることになるだろう。
そういった空気をまとうのはギャンブラーだけではない。いよいよ宇佐美班と吉兆班の戦いも本格的となり、喧嘩という枠には収まらない戦争が始まろうとしていた。その戦場において『ワンヘッド』真経津の勝敗が重要になってくることは言うまでもない。
復活した真経津と御手洗のコンビの行く末はいかに。気になる引きで終わった第十一巻であった。